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平山護義
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平山 護義(ひらやま もりよし、1892年(明治25年)3月20日[1] - 1986年(昭和61年)7月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。兵科は工兵科[1]。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
1892年(明治25年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月に工兵第1連隊長(関東軍・第4軍・第1師団[3][4][5])に就任した[2]。1941年(昭和16年)3月1日、陸軍大佐進級と同時に南支那野戦兵器廠長(第23軍[6][7])に転じ[2]、日中戦争に出動した[1]。
1945年(昭和20年)3月17日に陸軍築城部本部部員となり[8]、4月14日に第10工兵隊司令官(第2総軍・第15方面軍)に就任した[1]。6月10日に陸軍少将に進級し[2]、本土決戦に備えていた[1]。
脚注
参考文献
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