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延信王
平安時代中期の皇族・貴族。白川伯王家の始祖・初代。従四位上・神祇伯 ウィキペディアから
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延信王(のぶざねおう、生没年不詳)は、平安時代中期の皇族・貴族。花山天皇の孫。弾正尹・清仁親王の子。白川伯王家の祖。官位は従四位上・神祇伯。
経歴
後一条朝の万寿2年(1025年)正月に二世王の蔭位により従四位下に直叙され、同年12月に父・清仁親王の奏請により源朝臣姓を与えられて臣籍降下している。正月の叙位に関して、「安和御後」つまり冷泉天皇の皇孫として叙位を受けていることから、源朝臣賜姓も「安和御後」としてのものと想定されるとして、延信を花山源氏ではなく冷泉源氏とする見方がある[1]。翌万寿3年(1026年)侍従に任官する。
その後、従四位上・弾正大弼に叙任され、後冷泉朝初頭の寛徳3年(1045年)神祇伯に任ぜられた。
子息の康資王も神祇伯の官職を継承する。古来より、神祇伯は中臣氏の氏人が務める例が多かったが、平安時代末期の永万元年(1165年)延信の曾孫・顕広王が任ぜられて以降、この家系が世襲するようになった。そこで、この家系を伯家(白川伯王家)と呼ぶようになり、延信王はその祖と仰がれた[2]。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
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