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延州 (陝西省)
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魏晋南北朝時代
513年(延昌2年)、北魏により設置された東夏州を前身とする。東夏州は遍城郡・朔方郡・定陽郡・上郡の4郡9県を管轄した[1]。
隋代
隋初には、延州は2郡9県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、延州の属郡の遍城郡と文安郡は廃止された。606年(大業2年)に延州は丹州を統合し、また時期は不明であるが夏州を統合し、17県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、延州は延安郡と改称され、下部に11県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
618年(武徳元年)、唐により延安郡は延州と改められた。742年(天宝元年)、延州は延安郡と改称された。758年(乾元元年)、延安郡は延州と改称された。延州は関内道に属し、膚施・延長・臨真・敷政・金明・豊林・延水・延川・延昌の9県を管轄した[4]。
宋代
脚注
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