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建福帝

阮朝7代皇帝。阮福洪侅の三子 ウィキペディアから

建福帝
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建福帝(けんふくてい、キエンフックてい、Kiến Phúc、1869年2月12日 - 1884年7月31日)は、阮朝の第7代皇帝(在位:1883年 - 1884年)。諱は阮福膺登(Nguyễn Phúc Ưng Đăng)、後に阮福膺祜(Nguyễn Phúc Ưng Hỗ)、阮福昊(Nguyễn Phúc Hạo)と改めた。

概要 建福帝, 国号 ...

実子のいなかった嗣徳帝は3人の甥を養子としたが、その中で最年少だったのが建福帝である。養子の中では最も聡明で、嗣徳帝も彼を後継者にしようとしたが、慈裕皇太后(嗣徳帝の母)の反対で実現しなかった。

先代の協和帝が権臣阮文祥尊室説と対立して毒殺されたあと、15歳で即位したが、建福帝も権臣の専横に不満を抱いていた。そのおり、建福帝は自分の養母である学妃(阮氏香、嗣徳帝の側室)と阮文祥が密通していることに気付き、彼らを処罰しようとした。しかし、それに気付いた阮文祥は先手を打ち、学妃に命じて建福帝が服用している薬に毒を盛らせた。

その2日後、建福帝は在位わずか半年にして16歳で崩御した。弟の咸宜帝が帝位を継いだ。

先代
協和帝
阮朝皇帝
第7代: 1883年 - 1884年
次代
咸宜帝
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