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弁華別神社
北海道石狩郡当別町弁華別にある神社 ウィキペディアから
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弁華別神社(べんけべつじんじゃ)は、北海道石狩郡当別町弁華別に所在する神社。『当別町史』には弁華別橿原神社の名で記載されている[1]。
歴史
1886年(明治19年)7月、弁華別開拓の指導者だった柴藤善三郎が、東京にて39歳で客死した[2]。彼をしのんだ弁華別の人々は、1893年(明治26年)8月9日に「柴藤善三郎之碑」を建立し、以後毎年8月のお盆には祭事を行うようになった[1]。
1905年(明治38年)、神武天皇および皇后を祀り、橿原神宮の遥拝所となる[1]。
碑
- 柴藤善三郎之碑
- 1893年(明治26年)8月9日建立。この神社の礎となった。
- 地鎮碑
- 1895年(明治28年)9月建立[3]。
- 1925年(大正14年)、台座が寄進される[3]。
- 1929年(昭和4年)、改造建立される[3]。
- 馬頭観音碑
- 1921年(大正10年)4月建立[3]。
- 弁華別開拓記念碑
- 1932年(昭和7年)9月3日建立[4]。阿蘇岩産の石が用いられた[4]。
- 篆額は伊達正人男爵、碑文は当別村戸長を務めた鮎田小隅による[4]。
- 弁華別開拓百年之碑(左)、柴藤善三郎之碑(右)
- 馬頭観音碑
- 弁華別開拓記念碑
脚注
参考文献
外部リンク
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