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張氏 (苻堅の妾)
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張氏(ちょうし、? - 385年)は、五胡十六国時代前秦の第3代君主苻堅の妾である。
明弁にして才識を有しており。
382年、苻堅は東晋征伐に強い意欲を燃やしており、群臣はこれを再三諫めていたものの全く聞き入れなかった。11月、張氏はこれを諫めて「妾が聞くところによりますと、天地が万物を生み、聖王が天下を治めるのは、全て自然の流れに順じているものであり、故に成果が上がらない事はないといいます。黄帝が牛を服して、馬に乗る事を是としたのは、その性によるものです。禹が九川を浚い、九沢を障ったのは、その地勢によるものです。后稷が百穀播殖を耕作したのは、その時機によるものです。湯・武が天下の軍を率いて桀・紂を攻めたのは、その人心によるものです。いずれも成に則り、敗に則っておりません。今、朝野問わずみな晋を伐つべきではないと言っておりますが、陛下は独断でこれを決行しようとしており、この妾には陛下が何に従っているのか分かりません。書経によりますと『天の聡明は民の聡明に依る』といいます。天でも猶民に依っているというのに、ましてや人ではどうでしょうか!また、妾が聞くところによりますと、王者の出師というのは、必ず上は天道を観て、下は人心に順じるといいます。今、人心には既に背いており、天道の験がどうか試してみる事を請います。諺には『鶏夜鳴者不利行師、犬群嗥者宮室将空、兵動馬驚、軍敗不歸(鶏が夜に鳴けば出師に利はなく、犬が群れて騒げば宮殿は空となり(滅亡する)、武具が動いて馬が驚けばその軍は敗れて帰ることはない)』といいます。昨年の秋より、多数の鶏が夜に鳴き、群れた犬は哀しく吠え、厩の馬は多くが驚いており、武庫の兵器は自然に動いて音を立てていると聞いております。これらはいずれも、出師の祥ではありません」と述べたが、苻堅は「軍旅(戦争)の事は、婦人が預かる所ではない!」と言い、取り合わなかった[1]。
383年11月、苻堅は淝水の戦いに敗れると淮北まで逃走したので、張氏は自殺した。
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出典
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