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御祓村

日本の愛媛県喜多郡にあった村 ウィキペディアから

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御祓村(みそぎむら)は、1954年昭和30年)まで愛媛県の南部、喜多郡にあった。現在の喜多郡南部にあたる。肱川水系の御祓川の流域。

概要 みそぎむら 御祓村, 廃止日 ...

地理

現在の喜多郡内子町の南部。小田川の支流、御祓川の流域。御祓川が村内をほぼ西流する。御祓川の右岸、北側が只海、南側が北表。西方を除き周囲は600m程度の山々で囲まれている。南は山鳥坂で河辺村と接する。

地名の由来

  • 御祓川の流域であることから。

歴史

藩政期

明治以降

  • 1875年(明治8年) - 壺中小学校分校開校。
  • 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制実施により、只海村(ただのうみ)・北表村(きたおもて)が合併して「御祓村」成立。喜多郡に属す。
  • 1909年(明治42年) - 河辺村大字山鳥坂(やまとさか)字オヤブ・ダラリを編入。
  • 1954年(昭和29年) 9月1日 - (旧)五十崎町、天神村との合併により、新たな五十崎町となる。
御祓村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
            町村制施行時 
只海   ━━┓                      
       ┣━━━  御祓村 ━━━━━━━━━┓ 
       ┃                 ┃
北表   ━━┛                 ┃
                          ┃  (昭和29年9月1日合併)      
                         ┣━━━━ 五十崎町
             (旧)五十崎町 ━━━━┫     
             天神村    ━━━━━┛     
             
(注記)旧五十崎町ほかの合併までの系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。
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地域

大字として、只海、北表の2つの大字があった。いずれも、発足前の旧村がそのまま大字となったもの。後に、河辺村の一部を編入、大字山鳥坂とする。

おおむね御祓川の北岸が只海、南側が北表。山鳥坂は南部、河辺村との境。

行政

役場は大字只海においた。

産業

米、葉タバコ、栗などを産す。養蚕も盛んであった。

交通

かつては物資の輸送は舟運によっていた。

関連項目

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