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御船氏主
平安時代初期の貴族・儒学者 ウィキペディアから
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御船 氏主(みふね の うじぬし)は、平安時代初期の貴族・儒学者。姓は宿禰。官位は従五位上・大学博士。
経歴
大学博士として、延暦19年(800年)生まれの滋善宗人の若い頃に三礼(『儀礼』『周礼』『礼記』)を教授したとされることから[1]、弘仁から天長年間(820-830年代)頃には既に大学博士の任にあったか。天長8年(831年)外従五位下に叙せられる。
仁明朝に入り、天長10年(833年)本拠地を河内国から平安京の右京六条に改める。その後、引き続き大学博士を務める一方で、承和元年(834年)従五位下、承和8年(841年)従五位上に叙せられている。あるとき、経学を深く尊んでいた仁明天皇に召されて、助教・苅田種継と経義について議論した際、氏主は礼を執り、種継は伝を挙げ、激しい議論の末、決着がつかなかったとの逸話がある[2]。
官歴
『六国史』による。
脚注
参考文献
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