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徳雲寺 (西尾市)
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徳雲寺(とくうんじ)は、愛知県西尾市吉良町吉田八ツ田45にある浄土宗の寺院。山号は最勝王山。本堂と弁天堂が登録有形文化財[1][2]。布施行者として知られる尼僧の颯田本真[3]が開いた寺院である[1]。
歴史
颯田本真
弘化2年(1845年)11月28日、颯田本真(颯田本真尼)は幡豆郡吉田村(現・西尾市吉良町)の颯田清左衛門の長女として生まれた[4]。颯田清左衛門は信仰心の篤い豪農だった[5]。
文久2年(1862年)2月に庵を結んで慈教庵と号した[6]。20歳の時には1000日に渡って床に就かずに念仏を唱え続ける「不臥の念仏」を達成した[5]。慶応元年(1865年)以後には幡豆郡寺津村(現・西尾市寺津町)にある瑞松庵の実英尼の下で修行を行った[4]。
徳雲寺の建立
1879年(明治12年)5月9日に寺号を公称して徳雲寺となると[6]、1882年(明治15年)7月に本堂の建立を発願し、1883年(明治16年)9月に竣工して入仏式が行われた[4]。1890年(明治23年)の高潮では徳雲寺も被害を受けた[7]。1891年(明治24年)には濃尾地震が起こり、やはり徳雲寺も大きな被害を受けたとされる[7]。
弁天堂の建立
1918年(大正7年)7月、颯田本真の信徒で大阪に住む泉谷儀三郎は、了徳院から弁財天尊像を遷祀して弁天堂を建立した[4]。颯田本真はその後も精力的に窮民救済の活動を行い、1928年(昭和3年)に徳雲寺で死去した[4]。颯田本真は「日本のマザー・テレサ」と呼ばれることもある[5]。徳雲寺には颯田本真の小さな墓が建立されている[5]。
現代の動向
2016年(平成28年)4月8日、徳雲寺で颯田本真の90回忌法要が営まれた[8]。
吉良町には戦国武将の松井忠次が創建した法応寺があったが、1957年(昭和32年)に廃寺となると松井忠次の肖像画や仏像は東京に移された[9]。2018年(平成30年)には肖像画2点が西尾市に寄贈され、仏像4体が徳運寺に納められた[9]。2019年(令和元年)11月15日には肖像画が徳雲寺で公開された[9]。
2021年(令和3年)2月4日、本堂と弁天堂が登録有形文化財に登録された[1][2][10]。
- 本堂の内部
- 石塔
- 手水舎
- 本堂(左端)と弁天堂(右端)
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文化財
登録有形文化財

- 本堂
- 弁天堂
脚注
参考文献
外部リンク
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