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愛はどこへ行ったの

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愛はどこへ行ったの」 (原題: Where Did Our Love Go) は、スプリームスが1964年に発表した楽曲。グループにとって初めてのナンバーワン・シングルに輝いた。

概要 「愛はどこへ行ったの」, スプリームス の シングル ...

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では475位にランクされている[2]

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概要

作詞・作曲はホーランド=ドジャー=ホーランド。元々はマーヴェレッツのリード・シンガー、グラディス・ホートンを想定して書かれ、実際にホートンのキーに合わせてバッキング・トラックも制作された。プロデューサーも兼ねたラモント・ドジャーによれば、ドジャーがテープをホートンを聞かせると、彼女はこう言ったという。「ねえ、私たちはこういう曲はやらないの。私がこれまでに聞いたものの中でも最低の曲だわね」[3]

マーヴェレッツのメンバーのキャサリン・アンダーソンは、歌入れを拒否したのは彼女らがアップテンポのものを主なレパートリーしていたためだとのちに述べている[4]

当時モータウンでは、制作した楽曲がレコードにならなかった場合、その製作費はソングライターたちが払うことと定められていた。ドジャーはすぐさま「No Hit Supremes」として会社内で知られていたスプリームスに声をかける。スプリームスは「Run, Run, Run」に続く曲を必要としていたが、彼の予想に反して彼女らも意欲を示さなかった。何とか説得してレコーディングにこぎつけるも、キーが低すぎたせいもありダイアナ・ロスは終始不機嫌だったという。しかしプレイバックを聴いたロスは興奮し、社長のベリー・ゴーディをスタジオに呼び同じようにプレイバックを聴かせた。彼も曲の素晴らしさに気付き「本当にヒットになるかどうかは知らんが、トップ10にはおそらく入るぞ」と言った[3]

1964年6月17日、シングルとして発表された[1]。その後、8月31日発売のアルバム『Where Did Our Love Go』に収録された。

同年8月22日から8月29日にかけてビルボード・チャートで2週連続1位を記録した。カナダで1位、イギリスで3位、オランダで4位を記録し、ビルボードの1964年の年間チャートの10位を記録した。

スプリームスはドイツ語バージョン「Baby, Baby, Wo Ist Unsere Liebe」も吹き込んでいる。ドイツ語のバージョンはアルバム『More Hits by The Supremes』の2011年再発盤に収録されている[5]

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カバー・バージョン

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脚注

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