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天乙

商朝(殷)の創始者・初代王 ウィキペディアから

天乙
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天乙(てんいつ、紀元前1600年頃)は、古代中国の王朝の初代。名は履。姓・諱を合わせ、子履(しり、拼音: Zǐ Lǚ; ウェード式: Tzu-Lwu)ともいう。殷墟出土の甲骨文占卜には、大乙、名は唐、成と見える。湯王(湯)、太乙、成湯、成唐とも呼ばれる。『詩経』商頌では武湯、武王とも呼ばれる。

概要 天乙, 王朝 ...

それまでの勢力を制圧し中原の覇権を得て、に王都を築営した。

史書の天乙

史記』殷本紀などによると天乙はの最後のを追放し夏を滅ぼした。

桀は暴虐な政治を行い、人心は夏から離れていた。夏の臣であった天乙は伊尹の補佐を受け桀を攻め、これを滅ぼした(鳴条の戦い)。『書経』商書には桀を滅ぼす時に諸侯に向けて演説したとされる『湯誓』がある。

天乙は夏の文王武王と並び聖王として後世に崇められている。徳は高く鳥や獣にまで及ぶと言われた [1]

逸話

湯王が夏を滅ぼしたのち、七年間も大日照りが続き、洛川は枯れてしまった。そこで湯王は桑林まで出かけて神を祀り爪と髪を切り、みずからを犠牲として捧げる心で上帝に祈願した。するとたちまちのうちに大雨が降り国中が潤ったのであった[2]

脚注

関連項目

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