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投資一任会社
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投資一任会社(とうしいちにんがいしゃ)とは、いわゆる資産運用会社のうち、投資一任業務を行う形でサービスを提供するもの。
投資一任業務(=投資一任契約に係る業務)とは、顧客ごとに契約(=投資一任契約)を締結し、投資判断を一任されるとともに、投資権限を委任されて、顧客の代理人として運用指図を行う、という業態。
旧・投資顧問業法(有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律、1986年法律74号)により、有価証券を対象とする投資一任業務が解禁された。現行の金融商品取引法(2007年9月施行)には、対象を「金融商品」に広げながら、多くの規定が引き継がれた。
概説
要約
視点
資産運用会社の事業形態
現行の金融商品取引法は、資産運用会社のビジネスモデルを、下表のとおり区分している。
旧・投資顧問業法は、このうち「有価証券」を対象とする投資一任業務と投資助言業務の2つのビジネスモデルを規定していた。当時の投資顧問業者は、投資助言業の「登録」を受けた後、さらに投資一任業の「認可」を受けた(=2段階規制の方式)。現行の金融商品取引法の下では、投資助言業務と投資一任業務はそれぞれ独立していて、いずれも「登録」で足りる。
投資一任業務が解禁された経緯
1984年10月、証券取引審議会は「投資顧問業務等に関する特別部会」を設置して、旧・投資顧問業法の制定に向けた検討を開始した。その1985年11月報告書「証券投資顧問業の在り方について」は、投資一任業務について、「一部の委員から…時期尚早であるとの意見が表明された」[2]としながら、「投資顧問業務の中で専門性の行き着く最も進んだ形態」と評価し、「我が国においても…認めることが適当である」[3]と結論づけた。また、投資一任業務が法的に手当てされないまま、証券会社でない投資顧問業者がこれを行えば、証券取引行為を無免許で行うこととなるとも指摘した[4]。
こうして、後述するとおり、証券会社の売買一任勘定取引が規制されたのに対し、利益相反のおそれの、より少ない投資顧問業者に対して、投資一任業務が解禁された。そのため、投資一任会社の認可基準には、母体企業からの独立性を確保するためのものが少なからず盛り込まれた。
旧・投資顧問業法の認可基準
投資一任業務の認可基準は、他の法律に基づくライセンスの基準とほぼ同様の構成で、認可の適否の判断は大蔵大臣の「裁量行為」[5]とされた。認可要件とされたのは、財産的基礎、収支見込み、人的構成、管理部門の整備、法令等の遵守状況、顧客との信頼関係の維持、独立性の確保、など。利益相反防止の観点から、母体企業からの経済的、組織的かつ物理的な独立が求められた[6]。また、認可を受けた投資一任会社には専業義務が課せられ、その常勤役員には兼職制限が課せられた。
うち「収支見込み」については、当初、「3営業年度内に黒字に転ずる」「投資一任契約に係る契約資産額が短期間のうちに200億円に達する」ことが求められたが、1995年1月の認可基準の改正により、後者は「投資助言契約に係る契約資産額が200億円以上であること」に改められた。なお、こうした契約資産額基準は、海外親会社が1000億円以上の契約資産額を有する外資系現地法人または外国会社の本邦支店には、特例として適用されなかった。なお、契約資産額基準は、1998年6月の通達廃止(=事務ガイドラインの示達)により廃止された。
1995年2月以降、投信委託業務と投資一任業務の「併営」が認められたが、その際、「投資助言契約に係る契約資産額が200億円以上であること」という要件を満たさない投信委託会社でも、投資信託の運用資産残高が3000億円以上(海外親会社の実績を含む)であるなら、投資一任業務の認可を受ける途が開かれた。
年金資産の運用
投資一任業務の解禁は、将来の年金資産の運用を前提とするものでもあり、まず私的年金、次いで公的年金の資産の運用への途が投資一任会社に開かれた[7]。
- 私的年金
- 1954年厚生年金保険法(1954年法律115号[8])により厚生年金(公的年金のいわゆる2階部分。被用者むけ)が制度化され、さらに1965年6月の法改正(1965年法律104号[9])により、厚生年金基金と厚生年金基金連合会[10]に関する条文が追加されて、企業年金(年金制度のいわゆる3階部分)が制度化された。
- その積立金の運用方法は、当初、「信託又は保険の契約による」とされていたが、「運用受託機関の間に競争原理を導入し運用効率の向上を図る」[11]ため、1989年12月の法改正(1989年法律86号[12])により、翌1990年4月から、要件[13]を満たした認定厚生年金基金については、信託銀行と特定金銭信託契約を締結する前提で、「投資一任契約」によることも許された。ただし、解禁当初、その対象は、「ニューマネー」[14]に限られ、契約資産額を10億円以上とするほか、安全性の高い資産への投資の確保などの条件が付された。
- 公的年金
- 1961年・年金福祉事業団法(1961年法律180号)により、特殊法人「年金福祉事業団」が設置された。その業務は、年金福祉施設の設置・運営とその設置・整備資金の貸付け[15]とされたが、その後、財政投融資制度改革の一環として、また、資金運用部預託金利の引き下げを背景として郵貯・年金の自主運用を認める機運が高まった。年金福祉事業団については、1986年4月の法改正(1986年法律21号[16])により「年金資金確保事業」として、さらに1987年6月の法改正(1987年法律59号[17])により「年金財源強化事業」として、特別会計から資金運用部に預託した後、資金運用部から融資を受けて運用を行うことが許された。その方法は、①公共債の取得、②預貯金、③金銭信託、とされた。うち「公共債の取得」(=自家運用部分)については、投資助言業務の対象となったが、「金銭信託」(=運用委託部分)については、「運用方法を特定するものを除く」という条件が付されたため、投資一任業務の対象とならなかった。
- 1995年2月に金融サービス分野における日米包括経済協議が最終合意に至り、そこで年金福祉事業団の資金運用むけの投資一任会社のアクセスを「1995年度中」に開放することとされた[18]。期限内に開放するため、法改正を避けて、リミテッド・パートナーシップ指定単スキームが考案された[19]。なお、年金福祉事業団はその後、2000年3月の法改正(2000年法律19号[20])により、2001年4月から「年金資金運用基金」となり、さらに2004年6月の法改正(2004年法律105号[21])により、2006年4月から「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)となって現在に至っている。
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投資信託との関連
要約
視点
投信委託会社の母体企業として
証券投資信託の設定・運用を行う「投信委託業務」は、1951年投信法(証券投資信託法、1951年法律198号)により当初は登録制、その後、1953年改正法(1953年法律141号)により免許制とされた。1958年に投信分離論が活発となり[22]、翌年末から、法律改正を伴わない「証券会社から委託会社への営業譲渡」の形で証券会社と投信委託会社の分離が行われた。それから長く9社体制が続き、証券市場の回復等もあって、1989年11月までに国内証券系6社[23]が免許を受けた。
投資信託研究会[24]の1989年5月報告書「今後の投資信託の在り方について」[25]を受けて、同年12月に「証券投資信託業務の免許基準の運用について」[26]が公表された。明確化された免許基準に基づいて5社[27]が免許を受けた後、さらに、証券取引審議会の1992年1月報告書「証券市場における適正な競争の促進等について」[28]を受けて、同年4月に免許運用基準が改正された[29]。
この改正により、投資一任会社も設立母体となることが許され[30]、以後、投資信託の運用業務または販売業務の実績を持たない銀行や保険会社などが、投資顧問子会社における投資一任業務の実績[31]に基づいて、投信委託業務に続々と参入した[32]。
こうした取り扱いの結果、国内外の証券・金融グループは、その多くが運用子会社を2社ずつ(投信委託会社と投資一任会社)を有することとなり、うち投資一任会社については、株式会社形態のものと、外国会社の本邦支店形態のものとが混在することとなった。
投信委託業務と投資一任業務の併営
投資信託研究会[33]の1994年6月報告書「投資信託の改革に向けて~期待される機能、役割の発展のために」は、投信委託業務と投資一任業務の併営について、「欧米では容認されている」としながら[34]、両論併記として結論を出さなかった[35]。
しかしながら、同年12月に発表された具体的改善方策「投資信託の概要について」では、免許運用基準の見直しが行われて、1995年2月以降、投信委託業務と投資一任業務の「併営」や、投信委託会社と投資一任会社の「合併」が認められることとなった[36]。また、同年12月には、外国会社の本邦支店の形態を採った投資一任会社が投信委託業務に参入する場合、投資一任会社としては法人なりを行わず、投信委託業免許を受ける株式会社を別に設立する前提で、人員・施設の共有による実質的な併営が認められた[37]。
これにより、グループごとに運用子会社を2社ずつ有する必要はなくなり、また、2社ずつ有していた運用子会社を合併する動きが進むこととなった。
証券投資法人の設立とその資産の運用
上記の投資信託研究会報告書は、「欧米においては会社型投信が主流」「なお、クローズド・エンド型の会社型投資信託のメリットとして、安定的な資産運用が確保できると言われている」などとしながらも、会社型投資の導入には否定的だった[38]。
しかし、証券取引審議会の1997年6月報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」は導入に前向きで[39]、これを受けた1998年6月の法改正(いわゆる金融システム改革法。1998年法律107号[40])により、証券投資法人(=いわゆる会社型投信のうち、有価証券を対象とするもの)が制度化された。
法人の定款にあたる「規約」を作成する設立企画人およびその資産を運用する運用会社の業務は、投信委託会社だけでなく、投資一任会社にも解禁された。これを受けて、次の証券投資法人が設立されることとなった。なお、J-REIT(いわゆる会社型投信のうち、不動産を対象とするもの)が制度化されたのは、2000年5月の法改正(2000年法律97号[41])による。
「ジェイ不動産証券投資法人」は、我が国初の会社型投信である。これを設立した日本不動産投信は、税理士らが設立したベンチャーであり、投資家804人から12億6080万円を集めて[43]、特定目的会社の発行する資産対応証券に化体した不動産への投資を行った。後三者は大阪府のエンゼルファンド事業の受け皿で、大阪府が財団法人大阪産業振興機構を通じた出資を行った。
このほか、野村スパークス・インベストメント(2021年4月設立の投資運用会社)が、2021年9月に、「日本グロースキャピタル投資法人」を設立している。
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証券会社の投資一任業務
要約
視点
売買一任勘定取引(※現在の取引一任勘定取引)
投資一任業務は、証券会社の売買一任勘定取引から派生したものである[44][45]。なお、売買一任勘定取引は、1988年5月の法改正(1988年法律75号[46])に伴う同年8月の省令改正(1988年大蔵省令36号)により「取引一任勘定取引」に改称された。
証券会社は戦前から、売買一任勘定取引を行っていたのであるが、1948年証券取引法[47]とこれに基づく証券取引委員会規則[48]により、自己計算取引や過当数量取引などと同列で制限されていたところ、トラブルが多発したため、1964年2月通達「有価証券の売買一任勘定取引の自粛について」(1964年蔵理926号)[49]により、「顧客の強い要請により、…やむを得ず特別に行う」ものとして、重ねて制限された[50][51]。なお、証券会社は、1965年改正法(1965年法律90号)により免許制とされた際、証券業専念義務が課されたが、1967年10月通達「証券会社の兼業について」(蔵証1879号)により、投資助言業務[52][53]は兼業承認の対象とされた。もっとも、兼業承認を受けた証券会社は3社どまりで、いずれも間もなく投資顧問子会社に業務を移管した[54]。証券会社でない投資顧問子会社は、顧客のために証券取引行為を行うことが許されないため、投資一任業務を行えなかった[55]。
1989年末、複数の証券会社において、損失補てんが組織ぐるみで行われていることが明らかとなった。いわゆる財テクがブームとなる中、各社の法人営業が過熱し、法人顧客の取引が暗黙の了解の下に一任的に運用された結果、損失を補てんせざるを得なくなったのである[56]。損失補てんが、特定の顧客に対して、いわゆる飛ばしという簿外負債化を伴う多額の処理の形で行われれば、顧客間での不平等となるだけでなく[57]、市況下落時に証券会社の経営に重大な影響を及ぼす。
そこで、1989年12月通達「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」(1989年蔵証2150号)と「投資顧問業者の業務遂行上留意すべき事項について」(1989年蔵証2151号)が発出された。当時の法律では禁止行為とされていなかった「事後的な損失の補填や特別の利益提供」について、「厳にこれを慎むこと」とした一方で、いわゆる営業特金が一任的に運用されることを防ぐため、「特定金銭信託契約に基づく勘定を利用した取引については、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること」とした[58]。ところが証券会社の営業姿勢は改まらず、1991年夏、大口法人顧客に対する損失補てん、暴力団関係者との不明朗な取引などが発覚し、証券会社の不祥事が社会問題となった。改めて、取引一任勘定取引は「いわゆる損失補填の温床となりがち」とされ、同年7月通達「有価証券の取引一任勘定取引について」(1991年蔵証1135号)により原則禁止された[59]。なお、①海外取引注文、②売値の下限または買値の上限を指示した注文、③取引総額注文、④システム売買注文、は「限定的な裁量権の委任によるもの」「投資者の自己責任原則に反しない」とされ、社内管理体制の整備を条件として[60]、引き続きその受託を許された。もっとも、行政指導では実効性に限度があったことから、1991年10月の法改正(1991年法律96号[61])により、取引一任勘定取引の禁止が法令に明文化された[62]。同法の1992年1月施行により、前出の証券取引委員会規則は廃止され、省令[63]に「適用除外行為」が列挙された[64]。このとき、投資顧問子会社の関わる取引口座で損失補てんが行われていたことが明らかとなったが、親証券会社からの独立性の確保が十分でなかった点が背景にあったと判断された。そのため、1991年11月に施行規則が改正され、また、1992年1月通達「投資一任会社が顧客のために証券取引行為を行う場合の取扱いについて」(1992年蔵証1914号)が発出されて、投資一任会社を資本関係・人的関係により支配している親証券会社への発注が原則禁止された。
その後、1998年金融システム改革法の施行に伴う省令改正の際[65]、適用除外行為に「親族注文」が追加された。また、2002年8月に発表された「証券市場の改革促進プログラム」において、「誰もが投資しやすい市場の整備~多様な投資家の幅広い市場参加の促進」の一環として、取引一任勘定取引の範囲を見直すこととなり[66]、同年12月に内閣府令[67]が改正され、適用除外行為が、①外国証券会社注文、②特定同意注文[68]、③取引総額注文、④システム売買注文、⑤親族注文、と整理された。
ラップ口座(証券会社の資産管理サービス)
証券取引審議会の1997年6月報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」は、「資産運用サービスの強化」の一環として、証券会社のラップ口座を法制化すべきとした[69]。1998年金融システム改革法により、証券会社の専業義務の規定が見直され、また、「会員証券会社は有価証券の売買の受託について委託者から証券取引所の定める委託手数料を徴しなければならない」とする規定が削除されて株式等売買委託手数料の自由化が行われた。旧・投資顧問業法にも証券業を兼業するための規定が置かれる形で、ラップ口座が解禁された。
しかしながら、旧・投資顧問業法に基づく書面交付義務がその普及の妨げとなったことから、2003年5月の法改正(2003年法律54号[70])により「ラップ口座の円滑な実施を可能とする制度整備」が行われ、翌2004年4月に施行規則と事務ガイドラインが改正された[71]。
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投資一任会社の例
要約
視点
- 旧・投資顧問業法(1986年11月施行、2007年9月廃止)の下で「認可」を受けた投資顧問業者の一覧。
- 当時は営業保証金[72]の供託義務が課されており、2007年9月に現行の金融商品取引法が施行されるまでの間は、その取戻し公告により廃業の時期を確認することができる。
- 2003年5月の法改正(2003年法律54号[70])により、翌2004年4月から信託銀行に投資一任業務が解禁された。資産運用と資産管理を業とする信託銀行に対し、重ねて投資一任業務が解禁されたのは、年金資産の運用を受託する際、再信託方式(三者協定による)によらずに資産管理信託銀行との分業(マスタートラスト)[73]を行えるようにするためである。
1987年6月大蔵大臣認可(業法施行後の第1陣、56社)
1987年9月大蔵大臣認可(業法施行後の第2陣、59社)
その後の大蔵大臣認可
内閣総理大臣認可
金融再生委員会認可
内閣総理大臣認可
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関連項目
- 有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律 - 投資顧問業法(1986年法律74号)
- 投資顧問会社
- 金融商品取引業
- 1989年12月通達「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」 - 営業特金の適正化を促す内容
脚注
外部リンク
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