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斎藤義次

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

斎藤義次
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斎藤 義次(さいとう よしつぐ、1890年明治23年)11月23日 - 1944年昭和19年)7月6日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

概要 斎藤(さいとう) 義次(よしつぐ), 生誕 ...

経歴

宮城県出身。陸軍中央幼年学校予科同校本科を経て、1912年5月に陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第27連隊付となる。1924年11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。

陸軍兵器本廠付(軍事調査部)、騎兵第1連隊付、陸軍騎兵学校教官、騎兵監部員、騎兵第14連隊長、騎兵第8連隊長、騎兵第24連隊長、騎兵学校教官、留守第5師団参謀長などを歴任し、1939年8月、陸軍少将に昇進した。関東軍補充馬廠長、軍馬補充部本部長を歴任し、1942年12月、陸軍中将となった。

1944年にサイパン島に派遣され、第43師団長として守備隊を指揮した。1944年6月15日からサイパンの戦いが起こり、当初は善戦するも、陸海合わせて3万余の兵力は損耗し7月には3,000まで低下した。日本兵が次々に玉砕する中、司令官の斎藤もまた榴弾によって負傷し、7月6日に洞窟内で井桁敬治少将、海軍の南雲忠一中将と共に自決した。最期は切腹した後に、高級副官の鈴木二郎中佐が彼の頭を銃で撃ち抜いた、とされる。

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斎藤中将を埋葬するアメリカ海兵隊
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栄典

家族親族

脚注

参考文献

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