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旅順金塊発掘問題

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旅順金塊発掘問題(りょじゅんきんかいはっくつもんだい)は、ロシア帝国陸軍旅順(現在は中国遼寧省大連市内)に埋めたとされる2千万ルーブルの金貨と金塊の採掘に関する問題である[1]。1930年代(日本関東州が統治していた時代)に存在が報じられ、発掘調査もおこなわれたが該当するものは発見されず、事実無根と結論づけられた。

歴史

東京朝日新聞によれば、1933年昭和8年)に、とあるポーランド国籍の白系ロシア人ハルビン総領事の森島守人に面会し、ロシア帝国陸軍が日露戦争旅順陥落した際に金貨と金塊を旅順に埋めたと告げたとされる[1]

1934年(昭和9年)9月頃、ハルビンで発行されていたロシア語新聞『ハルビンスコエ・ヴレーミャ』の社長大澤隼人は、当局に旅順要塞地帯での埋没金塊の発掘許可を求めた[2]

その後、「旅順金塊発掘処理要綱」が定められ、1936年(昭和11年)5月21日から26日まで発掘作業が行われたものの埋蔵物が見つからず、旅順金塊は事実無根であるとされた[3]

類似の事件

ロシア帝国の金塊を巡ってはさまざまな噂や事件が起きている。

出典

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