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日独伊単独不講和協定
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日独伊単独不講和協定(にちどくいたんこつふわごうてい、英語: Agreement on No Separate Peace among Japan, Germany, and Italy)は、第二次世界大戦中、枢軸国を構成する日本、ドイツ国、イタリア王国の3国間で1941年12月11日に締結された協定である。正式名称はなく、日独伊三国同盟の補完として、連合国との戦争において一方的な単独講和(別個の和平)を禁じる内容を定めた。この協定は、1941年12月8日の日本による対米英開戦直後に結ばれ、枢軸国間の結束を強化する役割を果たした。
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歴史
背景
1940年9月27日に締結された日独伊三国同盟は、3国間の軍事同盟を定め、相互援助を義務づけていたが、講和に関する明文規定はなかった。 1941年12月7日(日本時間8日)、日本が真珠湾攻撃によりアメリカ合衆国およびイギリスと開戦した際、三国同盟の条文上は相互援助義務が発生しなかった(同盟は「一方の攻撃を受けた場合」に適用)。しかし、アドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニは即座に日本を支援するため、12月11日にアメリカに対し宣戦布告した。
この状況下で、枢軸国は戦争長期化を想定し、単独講和による同盟崩壊を防ぐ必要が生じた。鋼鉄協約(1939年)でも講和の相互同意が定められていたが、日本を加えた形で再確認するため、本協定が急遽締結された。 交渉はベルリンで主導され、日本側は近衛文麿内閣の外務省を通じて対応した。
締結
日時: 1941年12月11日(ベルリン時間) 公布 1941年12月17日
協定は秘密裏に調印され、即時発効した。内容は三国同盟の精神を継承し、講和交渉の際は3国共同で進めることを義務づけた。
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内容
協定の主な条項は以下の通り(非公式要約):
- 第1条: 3国は、連合国(特にアメリカ・イギリス)との戦争において、単独で講和・休戦を結ばない。
- 第2条: 講和交渉は3国共同で行い、相互同意なしの別個和平を禁止。
- 第3条: 戦争終結まで軍事・経済援助を継続し、結束を維持。
- 第4条: 違反した場合、残る2国は共同で対処。
この協定は、鋼鉄協約の講和条項を拡張したもので、枢軸国全体の戦略的一体性を高めた。
影響
協定締結後、1942年1月18日には日独伊新軍事協定が結ばれ、共通の戦争指導要綱が策定された。これにより、枢軸国は一時的に結束を強めたが、戦局悪化(例: 1942年のミッドウェー海戦、スターリングラードの戦い)で実効性は薄れた。
連合国側も1941年12月22日に連合国共同宣言を発し、対抗した。協定は1943年のイタリア降伏(カッシビリ休戦)で事実上無効化され、1945年のドイツ・日本降伏で終結した。歴史的に、三国同盟の補完として枢軸国の「不講和」政策を象徴し、戦争の長期化を助長したと評価される。
関連項目
外部リンク
- 外務省: 日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第一冊(日独伊三国同盟関連)
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