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早野義章
日本の海苔養殖家、教育者 ウィキペディアから
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早野 義章(はやの ぎしょう、1862年3月12日(文久2年2月12日) - 1932年(昭和7年)1月4日)は、日本の海苔養殖家、教育者。小学校校長を経て、海苔の養殖業に転身し、有明海で初めて海苔の養殖に成功した。門下生により、岡山、愛媛、朝鮮半島に海苔の養殖技術が広まった[1]。
略歴
1862年(文久2年)、留守居番の父大七、母マスの三男として生まれる。東京へ遊学後、大浜尋常小学校訓導に就く。後、校長に就任。
1894年(明治27年)頃、地域の貧窮を救うため海苔の養殖を提唱、校長を退職し、自ら海苔の養殖業を始める。1901年(明治34年)、県水産試験場支場誘致に成功する。1902年(明治35年)、海苔の養殖に成功。「玉名海苔」として、東京・大阪へ出荷する。
1903年(明治36年)、郡会議員初当選。
1906年(明治39年)、第二回関西九州連合水産共進会海苔部門で二等賞受賞。当時の皇太子が購入した。
1907年(明治40年)、大浜横島海苔水産組合を設立し、組合長に就任。1908年(明治41年)、有明海干拓事業に着手。1912年(大正元年)、長栄開、有明開竣工。
1915年(大正4年)、賞動局より大銀杯を受領。1921年(大正10年)、熊本県知事より表彰。1931年(昭和6年)12月、天皇へ新海苔を献上する。
1932年(昭和7年)1月4日没。
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脚注
参考リンク
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