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明徳

日本の元号 ウィキペディアから

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明徳めいとく旧字体󠄁は、日本元号の一つ。元中康応の後、応永の前。1390年から1394年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後小松天皇南朝方が後亀山天皇室町幕府将軍は足利義満

足利義満は、土岐康行の乱や2年の山名氏を挑発して蜂起させた明徳の乱、さらに応永期の応永の乱で有力守護大名を討伐して将軍権力を固めていく。1392年(元中9年/明徳3年)には北朝が南朝の持つ三種の神器を接収し、後亀山天皇が譲位して南北朝合一(明徳の和約)が成し遂げられ、元号も明徳に統一された。

康暦の政変で失脚した後に幕政に復帰した細川頼之は明徳の乱でも戦い3年に没しており、弟の細川頼元管領に就任している。4年には斯波義将が管領に就任しており、幕府の将軍を頂点とする三管領体制が整いつつある時期である。

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改元

出典

礼記』の「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善。(大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止(とど)まるに在り。)」から。

『礼記』の一篇である『大学』にも書かれており、「大いなる学問の道は、天から授かった徳を明らかにする事が目的である。さらに、自分の人徳を高めるだけではなく、回りの人々を教導して道徳的な進歩を後押ししなければならない。そして、その最高の善を常に継続し続ける事にこそある。 」という意味である。

明徳期におきた出来事

元年(1390年)
2年(1391年)
  • 4月、細川頼元管領に任命される。頼元の兄で前管領の細川頼之が上洛する。
  • 9月、将軍義満が春日大社東大寺興福寺などの寺社を参詣する。
  • 11月、義満が山名満幸らを京都から追放し、満幸は叔父の山名氏清らと反乱を計画する。
  • 12月、山名満幸、山名氏清らが挙兵する明徳の乱が起り、氏清らが敗北して戦死する。
  • 陸奥国、出羽国の2カ国が鎌倉府の管轄となる。
3年(1392年)
4年(1393年)
  • 6月、斯波義将が管領に就任する。

死去

  • 2年11月、山名氏清(享年48)
  • 3年3月、細川頼之(室町幕府管領。享年64)
  • 4年4月、後円融天皇(享年36)

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 明徳元年(庚午), 一月 ...
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