トップQs
タイムライン
チャット
視点

景哀王

ウィキペディアから

Remove ads

景哀王(けいあいおう、? - 927年)は、新羅第55代国王(在位:924年 - 927年)。姓は朴、は魏膺。神徳王の子で、景明王の同母弟。

概要 景哀王, 王朝 ...
概要 景哀王, 各種表記 ...

人物

924年に即位したが、既に新羅は「じり貧」の状態であり、高麗後百済の勢力に挟まれて領土は削られる一方であった。景哀王は、高麗の王建と同盟を結び勢力回復を目指した。

しかし、927年に後百済の甄萱金城に近い高鬱府(慶尚北道永川市)で新羅軍を破ると、王建に救援を要請したが、鮑石亭で宴会をしている最中に、金城を奇襲され、甄萱の兵は宮城で略奪を行い、景哀王は拉致された上で自殺させられた[1]

その後、敬順王が甄萱に擁立されて即位した[2]が、数年後に高麗に降伏し、新羅は滅んだ。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads