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曽根虎長

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曽根 虎長(そね とらなが)は、戦国時代武将甲斐国武田氏の家臣。中務大輔、三河守。子に勝長(昌世)

概要 凡例曽根虎長, 時代 ...

甲斐武田氏(武田信縄)の家臣・曽根縄長の長男として生まれる。祖父の昌長武田信重の曾孫とされる)を父とする説もある。享禄4年(1531年河原辺合戦にて父が戦死したため、家督を継いで武田信虎に仕え、慣例に倣ってその偏諱を与えられ「虎長」と称した。信虎追放後は武田信玄(武田晴信)に仕えた。早い時期から家督を子の勝長(のちの昌世)に譲って隠居している。

永禄4年の西上野侵攻においては跡部勝資原昌胤土屋昌続らと西上野国衆の取次を務めており、虎長は安中氏との取次を担当している。天文10年(1541年)および天文17年(1548年)の中郡上曽弥村山王権現社の棟札に虎長の名がある[1]。史料などから天正元年(1573年)以降までは活動が確認できるため、この前後に死去したものと思われる。

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脚注

関連項目

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