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未亡人ごろしの帝王

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未亡人ごろしの帝王』(ごけごろしのていおう)は、1971年公開の日本映画。製作:東映東京撮影所、配給:東映

概要 未亡人ごろしの帝王, 監督 ...

キネマ旬報データベースなど、『未亡人殺しの帝王』と一部漢字表記のものが多いが、封切り時のポスターには平仮名で『未亡人ごろしの帝王』と書かれている[1]。またタイトルは『ごけごろしの帝王』と読む[1]。タイトル命名は岡田茂東映プロデューサー[2][3]

概要

梅宮辰夫主演による“ 帝王シリーズ”第三作[4][5][2]。前二作の斎藤武市の代わり、監督は内藤誠に変更された。

タイトル通り、梅宮扮する精力絶倫の主人公が後家たちをなで斬りする[6]

キャスト

スタッフ

  • 監督:内藤誠
  • 脚本:小野竜之助
  • 企画:矢部恒
  • 撮影:山沢義一
  • 美術:北川弘
  • 音楽:小杉太一郎
  • 主題歌:梅宮辰夫「シンボルロック」
  • 録音:宗方弘好
  • 照明:桑名史郎
  • 編集:祖田富美夫
  • 助監督:岡本明久

製作

監督の内藤誠は「不良番長シリーズ」第8作、『不良番長 出たとこ勝負』1970年8月1日公開時に岡田茂に「お前はとかくカメラを振り回したり、技巧に走りすぎる。東映ドラマは人間ドラマでいけ」などと説教され[7]、「不良番長シリーズ」の監督を降ろされ、「これからはお前にそういう作品を回す」と言われ、本シリーズの監督に回された[7]。内藤は「岡田さんはすでに私の資質を見抜いていた」と話しているが[8]、「当時は社員監督だから、そういう指示に従わなくちゃいけないわけ。本当はまだ"不良番長"をやりたかったんだけど」などと話している[7]。ただ石井輝男からは「”帝王シリーズ”はずいぶん金をかけているみたいで面白いよ」といってもらえたという[8]

キャスティング

吉川銀子役で出演する八代万智子は、東映ニューフェイスで梅宮と同期の入社で、梅宮が最初に艶ダネにされた人で[9]、以降、梅宮は多くの女優や銀座ホステスなどと浮名を流し、“帝王シリーズ”で、プレイボーイイメージを決定的なものにした[9]

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作品の評価

  • 週刊ポスト』は「この映画は、つまり梅宮の私生活を描いたものだ。いまや邦画界は、俳優個人の"恥部"を描く"ストリップティーズ時代"になっているのだ。かつては虚構を描くのが映画で、俳優個人の生活は別だった。今や、個人生活がそのまま映画になり、私生活の方が本人にも何か分からぬ虚構になってしまっている。とどのつまり、映画界は企画貧困という無能ぶりを証明している」などと評した[6]

同時上映

『極悪坊主 飲む打つ買う』

脚注

外部リンク

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