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本多忠晃
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本多 忠晃(ほんだ ただてる、1897年(明治30年)3月19日[1][注 1] - 1978年(昭和53年)10月5日[1][2])は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
元陸奥泉藩主・本多忠伸の二男として生まれる[1][3]。1904年(明治37年)7月、兄・忠彦が日露戦争で戦死したため家督を継承し、同年11月12日[注 2]に子爵を襲爵した[1][3][4]。
1923年(大正12年)京都帝国大学経済学部を卒業[2][3]。1925年(大正14年)東京電燈に入社し、その後、南満州鉄道嘱託などを務めた[2]。
1939年(昭和14年)10月7日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
脚注
参考文献
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