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本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星
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本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星(英語: 45P/Honda-Mrkos-Pajdušáková)は、1948年12月3日に本田実が倉敷市で発見した周期彗星である[2]。本田実のほか、アントニーン・ムルコス、リュドミラ・パイドゥシャーコヴァーが共同発見者となった[4]。本田・ムルコス・パジュサコバ彗星ともいう[5]。核の直径は1.6 kmである[1]。2011年8月19、20日には彗星の中で15番目にレーダー観測が行われた[6]。
1995年の近日点通過では見かけの等級7で太陽から4.3 °ほどしか離れていないときに、探査機SOHOにより観測された[2]。
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2011年の回帰

2011年の回帰の際には6月5日に21等で確認された[8]。7月3日には18等に達し[9]、21日になると16等になった[10]。9月から10月にかけては6等にまで達した[11]。
8月15日には地球に0.600 auまで接近した[1][3]。このとき、ゴールドストーン深宇宙通信施設による研究が計画され[4]、8月19、20日にはレーダー観測を行うことができた[6]。
2017年の回帰

本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星は2016年12月31日に近日点を通過した[3]。2017年1月から3月にかけては6等に達することもあった[12]。2017年2月11日には地球に0.0832 auまで接近し[3]、これは2017年2月11日の月食と同じ日であった[13]。

次に地球に接近する回帰は2032年の回帰で、地球に0.37 auまで接近すると予想されている[1]。
脚注
関連項目
外部リンク
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