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本田寿賀
日本のアナウンサー (1925-1985) ウィキペディアから
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本田 寿賀(ほんだ すが、結婚後の姓は陸奥(むつ)、1925年(大正14年)1月28日[1] - 1985年(昭和60年)6月12日[2])は、元NHKアナウンサー。
経歴
千葉県君津郡生まれ[1]。日本女子大学卒業[2]。1946年、NHKに一般職員として入社後、同年戦後初のアナウンサー試験に合格、17期アナウンサーとなる。同期は野村泰治、のちに橋本登美三郎夫人となった後藤美也など。1953年1月2日放送の『第3回NHK紅白歌合戦』では、朗読の実績を買われて紅組司会に起用された[3]。『NHK紅白歌合戦』でNHKアナウンサーが紅組司会を務めるのは本田が初めてだった[注釈 1]。1956年7月から1961年8月まで大阪中央放送局勤務を経て再び東京勤務に戻る。1964年東京オリンピックでの実況中継を希望していたが、1962年に陸奥イアン陽之助との結婚で退社した[4][注釈 2]。
1985年6月12日、すい臓がんのため、国立がんセンターで死去。葬儀は結婚式も行った霊南坂教会で執り行われた[2]。
アナウンサーとしての前半生を中心としたその生涯については、早瀬圭一『過ぎし愛のとき―淑女の履歴書』(1990年、文藝春秋、ISBN 978-4163443003) の中の「『伯爵夫人』本田寿賀」に詳しい。
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人物
NHKのアナウンサーの先輩高橋圭三は「実人生はタレントのように自分を前へ前へと押し出していたが、いったんマイクの前に立つと、不思議にそれが消えた」と評している[1]。また、NHK時代の後輩下重暁子によると「おしゃれで豪快な女性だった」とのことである[5]。なお、下重は結婚後の陽之助と寿賀から、陽之助の両親にあたる陸奥廣吉とエセルの日記(英文)を見る機会を得て、寿賀没後にも取材を重ねて『純愛―エセルと陸奥広吉』(1994年、講談社)を執筆した[5]。
脚注
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