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朴鐘八
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朴 鐘八(パク・チョンパル、박종팔、Chong-Pal Park、1958年8月11日 - )は、韓国のプロボクサー。全羅南道務安郡出身。元IBF・WBA世界スーパーミドル級王者。
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来歴
1977年11月26日、韓国でプロデビュー。
1978年12月17日、7戦目で韓国ミドル級王座を獲得した[1]。
1979年8月22日、12戦目で柳済斗が返上したOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦でカシアス内藤と対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[2]。同王座は15度の防衛に成功した。(そのうち、日本人の挑戦は5度。1980年1月27日、江刺勝雄(初防衛)[3]。1980年3月18日、柴田賢治(防衛2)[4]。1981年4月5日、シーザー佐々木(防衛8)[5]。1981年6月21日、柴田賢治(防衛9)[6]。1982年12月26日、鈴木直人(防衛15))
1981年11月8日、フルヘンシオ・オベルメヒアスと対戦し、8回KO負け[7]。
1983年5月29日、OPBF王座の16度目の防衛戦で羅慶民と対戦し、7回KO負けで王座から陥落した[8]。9月4日、羅慶民と再戦し、4回KO勝ちで王座を奪回した[9]。
1984年7月22日、世界王座初挑戦となったIBF世界スーパーミドル級王者マレイ・サザーランドに挑戦し、11回TKO勝ちで世界王座を獲得した[10]。
1987年7月26日、防衛戦でエマヌエル・オッティと対戦し、3回KO勝ちで8度目の防衛に成功した[11]。その後、同王座を返上した。
1987年12月6日、WBA世界スーパーミドル級初代王座決定戦でヘスス・ガヤルドと対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[12]。
1988年5月23日、2度目の防衛戦でフルヘンシオ・オベルメヒアスと6年半ぶりに再戦し、12回判定負けで王座から陥落した[13]。
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獲得タイトル
地域タイトル
世界タイトル
エピソード
世界戦のファイトマネーは5000万ウォンを超え、試合のたびに土地を購入し時価90億ウォンの資産を得て、「돈팔이(トンパリ、金の亡者)」とあだ名された(当時のソウル市の坪単価は1万ウォン)[15]。その後、詐欺や事業の失敗などで破産し、うつ病、夫人の他界などの不幸に見舞われたが、再婚しジムの運営などで再起を果たした[16][17]。
脚注
関連項目
外部リンク
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