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李恵宗
李朝大瞿越8代皇帝 ウィキペディアから
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李 恵宗(り けいそう、越:Lý Huệ Tông、在位:1210年 - 1224年)は、李朝の第8代皇帝。諱は旵(サム、越:Sảm)、また『元史』では昊旵と書かれる。第7代皇帝高宗の子。
経歴
治平龍応5年(1209年)、内乱によって父の高宗とともに都を追われた際、陳李・陳嗣慶によって皇帝に擁立されたことがある(『大越史略』)。翌年、父の死去で正式に即位したが、父同様に暗愚な人物で国政を顧みなかったため、外戚の陳守度に政治の実権を握られた。
建嘉4年(1224年)、皇位の簒奪を目論む陳守度によって廃され、自身の次女でわずか7歳の李昭皇を擁立される。建中2年(1226年)、邪魔者となった恵宗は、陳守度によって自殺に追い込まれた。
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