東京ドーム
東京都文京区にある多目的ドーム球場 ウィキペディアから
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東京ドーム(とうきょうドーム)は、東京都文京区後楽にあるドーム球場。プロ野球・セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)が専用球場(本拠地)としている。
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東京ドーム | |
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![]() フィールド全景(外野広告部分は2021年まで) | |
施設データ | |
所在地 | 東京都文京区後楽1丁目3-61 |
座標 | 北緯35度42分21秒 東経139度45分7秒 |
起工 | 1985年(昭和60年)5月16日 |
開場 | 1988年(昭和63年)3月18日[1] |
所有者 | 株式会社東京ドーム |
グラウンド | 人工芝(フィールドターフ) |
照明 |
照明灯 - 14ヶ所 照度 - バッテリー間:2800ルクス、内野:2500ルクス |
建設費 | 約350億円 |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
建設者 | 竹中工務店 |
使用チーム • 開催試合 | |
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収容人員 | |
約43,500人[2](野球開催時、うち車椅子席30席) 約55,000人(コンサート開催時) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
グラウンド面積:13,000 m2 両翼 - 100 m (約328.1 ft) 中堅 - 122 m (約400.3 ft) 左右中間 - 110 m (約360.9 ft) |
フェンス | 4.24 m(約13.9 ft) |
1988年(昭和63年)3月18日に開場した日本初の屋根付き球場で[3]、株式会社東京ドームが運営する東京ドームシティの中核施設。野球のほかに、格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われている。建築面積は46,755m2。
屋内の屋根付き会場としては、フィリピン・アリーナと並んで、世界最大の収容人員を誇る。ちなみに、日本2位は札幌ドーム、日本3位はナゴヤドームである。(最大収容人員が5万人を超える日本の屋内会場は、この3つのみ。)
日本初の全天候型多目的スタジアムで[4]、後楽園球場の実質的な代替球場として後楽園競輪場の跡地に開場[5]。
1978年に保坂誠の後楽園スタヂアム社長就任後に屋根付きの新球場構想が持ち上がり1980年5月からプロジェクトチームによる研究を開始し空気膜式の屋根を用いて競技場敷地に建設する方針とした[6]。1980年10月に竹中工務店に新球場建設を打診し当初は鉄骨造も検討されたが建設費に400億円以上が概算され収益が見込めないことや保坂の「話題性も考えてほしい」との考えから空気膜構造を用いることとなり[7]、1981年8月にアメリカのガイガー・バーガー社(en)と空気膜屋根工法の技術提携を結んだ[7][8]。1982年8月には東京都江東区の技術研究所に25m四方のサイズで[7]、空気膜式屋根の実験棟を建設し研究を本格化させた[6]。
1984年9月5日に「後楽園エアードーム」の仮称で建設計画を発表[9][10]。1986年の後楽園スタヂアム設立50周年事業の一環となる[11]、後楽園エリアの再開発計画に合わせて進められた[12]。全天候型のエアドーム型球場で野球をはじめサッカーなどの競技の他国際会議や見本市等多目的な利用を想定し[12]、グラウンド面積約13,000平米・収容人数56,000人・工期約34ヶ月・1988年春完成を目標とした[13]。しかし都市計画公園内での建築制限やエアドームが建築基準法の想定外となっていたことが建設に関しての懸念材料となっていたものの1984年10月に東京都の都市計画公園事業として認可[14]、1985年5月には建設大臣から認可を受けた[15]。同年5月16日に起工式を実施[16]、1987年6月28日には膜屋根の展開作業を完了[17]、7月22日に上棟式と披露パーティを実施[18]。
1988年3月11日に定礎式[19]、3月17日にオープニングセレモニーが開かれ、3月18日にこけら落としイベントとして巨人と阪神のオープン戦が行われた[4]。4月8日に初の公式戦「巨人 - ヤクルト」(夜に「日本ハム - ロッテ」)が行われた。その日の関東地方は4月としては珍しく大雪で同じ関東地方の西武ライオンズ球場(当時はドームではなかった)での開幕戦は中止となったが、東京ドームの開幕戦は予定通り行われ、ドームの威力を早々と発揮した形になった[20]。
愛称は「BIG EGG(ビッグエッグ)」で[3]、1986年の東京ドームの正式名決定とともに制定され「Big Entertainments & Golden Games」(大きな娯楽と輝かしい試合[21]、心に残る楽しいゲーム[22])の略や[21]、丸みのあるドームの形状から「未来の可能性に満ちた何が飛び出すかわからない巨大な卵」[23]、「卵型のドームから新しい歴史を生む」といった思いが込められた[21]。1998年まで東京ドームグループの旧称として「BIG EGGグループ」という社名が使われていたが、2000年1月1日に周辺エリアの「ビッグエッグシティ」の愛称を「東京ドームシティ」に改めたことにより公式に廃止されている[4][注 1]。
空気膜構造屋根を持つアメリカのメトロドームをモデルとして設計された[24]。特徴的な屋根は総重量400トンに達し、1987年6月28日の午前中にインフレート(空気入れ)が行われ[25][注 2]、以後、今日まで一度もしぼんだことがない。2002年からロングパイル人工芝を日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減している。ドームの広さは約216メートル四方で建築面積は46,755m2、容積は約124万m3(東京ドーム (単位)も参照)。
2015年度の実績では、撤去・設営も含めた稼働実績は87.4%[26]。そのうち野球が占める割合は4割程度で、その他はコンサートなどの各種イベントが占める[26]。
フィールドは人工芝を採用。開業後は巻き取り式のショートパイル人工芝を使用していたが、2002年(平成14年)から試合会場としては日本で初めて、天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入した[27]。導入の背景としては、膝痛に苦しみながら中堅手として出場を続けていた当時の巨人の主力選手松井秀喜への配慮があったとされる。このフィールドターフは2007年(平成19年)3月、2014年(平成26年)3月[28]、2019年(平成31年)3月と[29]、3回張り替えが行われている。
外野フェンスは2010年(平成22年)から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするため[30]。2018年(平成30年)からは、外野フェンスのクッション部分がそれまでのものよりも柔らかくなった。
ラバーフェンスのスタンド側上部には手すりがあり、開業当初はそれに打球が当たった場合はインプレーであった。しかし、1990年6月9日に落合博満がバックスクリーン手前の手すりに直撃してグラウンドに跳ね返ってくる打球を放った際、福井宏二塁塁審はフェンスを超えていたとして本塁打と判定した[31]。これを機に、同審判が手すりの紛らわしい部分の撤去を要望するなど、判定の難しさが指摘されていた[32]。その結果、藤田元司巨人監督と近藤貞雄日本ハム監督及び審判との協議によって、1991年から手すりに当たった場合は本塁打というルールに変更された(ほか、フェンス上端部を黄色に着色することも決定された)[33]。
外野からは十分な高さがあるフェンスは、客席の最前列からは低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もある。2014年(平成26年)4月19日の対中日戦で坂本勇人が大野雄大から放った左中間への大飛球は、当初は本塁打と判定されたものの、のちビデオ判定の結果、最前列にいた観客が手すりを超えてインフィールド側まで手を出して直接捕球したことが確認されたため二塁打に変更された[34]。一方、2023年(令和5年)8月13日の対横浜DeNAベイスターズ戦で坂本勇人が上茶谷大河から放った左中間への大飛球は、2014年の事例と同様に最前列にいたファンが手すりを超えて捕球を試みたが(捕り損ねてボールはフィールドに落下した)、この時は二塁打と判定され、のちのビデオ判定による検証でも覆ることはなかった[35]。ただ、ビデオ判定直後の審判による説明では、観客の妨害により本塁打が二塁打に変更されたとも解釈できる説明がなされたこともあり、試合翌日の14日にNPBはこの件で詫びを入れるとともにファンに対し異例の「お願い」を出した[36]。
ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかない(両翼からセンターの最深部までほぼ直線の構造である)ことが挙げられる。これは現在の12球団の本拠地球場の中で最も狭い(なお、福岡ドームもホームランテラスを設置後は同じ規格となっている)。第二に、屋内球場のため風の影響を受けない上に構造上湿度が低くなっているため打球が伸びやすいことが挙げられる。
もっとも、東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場だった。実際に後楽園球場でなされた1987年(昭和62年)の公式戦は112試合で234本の本塁打(1試合平均2.09本)が出たが、東京ドームの1988年(昭和63年)の公式戦112試合は147本(1試合平均1.31本)が出たにとどまり、約4割減少している。さらに、コンピュータ分析では、王貞治の868本塁打のうち、東京ドームなら322本減るという結果も出ていた[37]。
他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地(巨人と日本ハムが本拠地としていたため、全12球団で全11球場)中、1988年10位、1989年10位、1990年11位であり[38]、数字の上でも本塁打の極めて出にくい球場であった。しかし、その後は、1991年7位[38]、1992年6位[39]、1993年6位[40]、1994年6位[41]、1995年7位[42]、1996年6位[43]、1997年3位[44]、1998年1位[45]、1999年2位[46]、2000年1位と[47]、他球団が広い球場に本拠地を移転したり球場を拡張したりする中で、東京ドームは相対的に本塁打の出やすい球場となっていった。
それに加えて、ボールの影響がいわれており、それまでのタマザワ製ボールだったのを1992年からミズノ製に変えたために、本塁打が増加したとされる[48]。それを裏付けるように、開業した1988年の1試合当たりの本塁打数は1.31本(112試合で147本)だったのに対して2004年は3.43本(76試合で261本)と2.6倍以上に増加し、統一球導入前後で、2010年は2.88本(73試合で210本)・2011年は1.42本(69試合で98本)と半数以下に激減している。
この最中、1998年(平成10年)には東京ドームで本塁打が急増したため、読売新聞で分析がなされ、左・右中間の膨らみが無いこととともに、スタンドにしか冷房が当たらない構造から「冷房によって外野席の気温が下がれば『風』がグラウンドから吹きつけることは考えられる」という仮説を挙げている[49]。
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%(3ヘクトパスカル)高くして膨らませている。インフレートと呼ばれ、完成時に屋根を膨らます作業が行われた(この作業はメディア等でも取り上げられている)。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。出入り口は手動式回転ドアやエアロックが設置されており、全面的なドア開放は与圧が抜けて屋根が潰れる原因になるので出来ない。多数の観客が退場する際は通常のドアも開放されるが、気圧のため外向きに強い風が起こり注意を要する。この風は回転ドアのわずかな空間でも発生している。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。
屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜はガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー(中央部1個、膜屋根周辺21個)、照明(14ヶ所)が吊るされている[50]。
中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、野球中継だけでなくNHK・民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の巨人戦などの野球中継ではあまり頻繁に使用されないが、投手の投球練習を上から撮影する際などに使用されている[注 3]。巨人の優勝決定時に行われる胴上げの際は『トップアイ』からの映像が必ず使用される。
天井の高さ61.69mは1964年の後楽園球場開幕試合に巨人の王貞治が国鉄・金田正一から放った超特大の場外ホームラン(推定飛距離151m)から導き出された数字で[51]、それ以上の打球が来ても屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつけることは無理でしょう」と述べていたが、実際は打球が天井や懸垂物に当たった例は多数ある(東京ドームの特別ルールの適用例を参照)。
東京ドームは打球が天井や懸垂物に当たった場合などに備えて特別ルールの「東京ドーム特別規約」が設けられている[52][53]。
東京ドーム特別規約(2016年現在)の内容は以下の通り。
— 東京ドーム特別規約[52][53]
- 打球が、フェア地域上の天井や懸垂物に当たった場合は、ボールインプレイとする。ファウル地域上の天井や懸垂物に当たったり、穴や隙間に入り込んだ場合は、ボールデッドとする[注 4]。
- 打球が、フェア地域内にある天井の穴または隙間に入り込んだ場合、あるいは懸垂物に挟まった場合は、ボールデッドとし、打者および走者には投球当時を基準にして二個の安全進塁権が与えられる。
- 内野から外野にかけてフェンス上にボールが留まった場合は、ボールデッドとする。ただし、バックネットの低いフェンス上にボールが留まった場合は、ボールインプレイとする。
- ボールボーイ用の椅子にボールが当たってプレイングフィールドに跳ね返った場合は、ボールインプレイとする。ただし、ダッグアウトの屋根の上に留まるか、ひさしに当たった場合は、ボールデッドとする。
- エキサイトシート内にボールが入った場合は、ボールデッドとする。ただちにプレイングフィールドに跳ね返った場合もボールデッドとする。
- ボールがカメラマン席に留まった場合は、ボールデッドとする。ただちにプレイングフィールドに跳ね返った場合もボールデッドとする。
開場当初から1990年代までは、デーゲームにおいて、白い天井とボールが同化して野手がフライを見失うケースが続発した(ナイターではほとんど起きない)[62]。
1995年4月22日の日本ハム対西武戦では、西崎幸広が7回終了時までノーヒットノーランだったものの、8回表のオレステス・デストラーデの放った飛球をセンターの大貝恭史が見失って三塁打となり、ノーヒットノーランが途切れた[63]。
第63回都市対抗野球大会(1992年)の準決勝では、4回表の日本生命の攻撃で、無死1塁から内匠政博の放ったライトへの飛球を日本石油の右翼手高林孝行が見失って三塁打となった[64]。また、7回表の日本生命の攻撃では、一死2、3塁でショート後方に上がった飛球を日本石油の遊撃手が見失って二塁打となった[64]。いずれも得点となり、結局1点差で日本生命が勝った[64]。
第66回都市対抗野球大会(1995年)の決勝では、8回裏、2点を追う日本石油の攻撃で、二死2塁から高林孝行が放ったセンターの飛球をNKKの中堅手が見失った結果、同点のランニングホームランとなり、延長戦で日本石油が勝利するなど、天井が優勝を分ける結果となった[65]。高林は、3年前に打球を見失った当事者であり、全力で走っていたという[66]。
第69回都市対抗野球大会(1998年)では、東京ドームの天井で打球を見失ったためにヒットになったケースをカウントした結果、1大会(31試合)で20本との数字が出ている[67]。
しかし2000年代以降は、経年によって天井が黒ずんできたため、上記のようなケースはほとんど見られなくなっている。
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オープンコンコースが採用されておりメインとなる内野2階コンコースから直接グラウンドが見える構造となっている。ただし内野側は下段席最上段に設置されたグループシートによる目隠し部分が増えた。当初の下段席最上段後方は内野寄りが車椅子席(12席)で、残りは安価な立見席となっていた。現在はグループシートよりも外野側の車椅子席が30席と増え、残りはカウンター席とカウンター立見席となり安価な立見席は外野席後方のみとなっている。内野席後方立見席の改装はコロナ禍による立見席の販売停止と重なっており、2024年の立見席販売再開時には名称が「立ち見」から「外野立ち見」に変更されている。他に内野は1階と4階、外野は1階にクローズドコンコースがあり、グラウンド面の高さは地下5.5m。
基本的に座席の色は青とシーズンシートのグレーで統一されている。敷地の関係上、日本の球場としては外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、巨人戦は食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっており、イベントによってはバルコニー席全体が関係者用スペースにもなる。スタンドのファウルポール付近は可動席で、サッカー、アメフト等の開催時はフィールドを広げられるようになっている。かつてはスタンド下方への自動収納式のものもあったが現在は廃止されている。
巨人主催ゲームについては2009年から2010年まで、阪神戦を除く平日ナイターに限り内野C指定席の一部を学割チケットとして販売していた。また、2023年には平日ナイターに限りD指定席の一部を大学生や専門学校生向けに1000円で販売している[68]。
左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年(平成17年)後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。なお阪神戦は、阪神ファンの集客率が他球団のファンのそれと比較すると圧倒的に高い点や巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けるため「レフト巨人応援席」は設定されておらず[注 6]、レフト外野席全てが事実上のビジター応援席となっていた。ただし、クライマックスシリーズ開催時は例外で、阪神戦の際も「レフト巨人応援席」が設定される。またコロナ禍で一旦ビジター席の設定が無くなった後に復活した後は阪神戦も他球団戦と同じ扱いになっている。
都市対抗、大学選手権、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中は、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。[69][70]
2005年(平成17年)から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を設置[27](228席)した。2009年(平成21年)からは座席列が2列から4列に増設されて420席(一塁・三塁各210席)となっている。2017年からは一塁、三塁側に合わせて154席増設され、合計574席となった。また38席分に頭上まで防球ネットエリアが新設され「エキサイトEASYシート」と名付けられた。
2019年から東京ドーム外野のレフトスタンド下に「シークレット パーティールーム」が設置された。外野フェンスに金網が張られた窓が設けられており、カウンター席から試合を観戦することができる。また大型モニター・ソファが設備された個室で、ホテルメイドのパーティー料理・ソフトドリンクが楽しめる。部屋数は2室で、収容定員は15-25名。
プロ野球の各球団は、2004年(平成16年)までその主催のシーズン公式戦の観客数を概数で数字で発表していた。東京ドームは収容人員を1988年から1994年まで56,000人、1995年から2004年まで55,000人とし、巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず満員の55,000人(1994年まで56,000人)と発表していた。朝日新聞によると、設計段階は50,009人であり行政指導の結果46,314人に減ったが(後述)、「後楽園(満員で5万人での発表、実際の定員は41,337人)よりビッグ、を強調したい、との商魂が先行したため」[72]に、公称56,000人となった。朝日新聞は、「プロ野球がマイナースポーツだった時代、窮余の振興策として採られた水増し発表の必要悪が、今の隆盛時代に“健在”なのは、こっけいであろう」[72]と評していた。
ただし、日本シリーズやオールスターゲームは、各球団ではなく日本野球機構の主催となり、同機構が公益法人(一般社団法人)のため実際の有料入場者数が記録されることになっている。日本野球機構主催ゲームの最多有料入場者数は、1994年日本シリーズ第2戦の46,342人[73]。
2005年(平成17年)からプロ野球全体で観客数発表を実数に近似させるため、通常は実際の入場者ではなくシーズンシートを含めたチケット購入者数を、プロ野球チームが本拠としている各球場でも収容人員の変更が行われているが、東京ドームは観客数発表の方法は変更したものの収容人員の変更はしばらくされていなかった。後に野球開催時の収容人数を約46,000人と公称するようになった。しかししばしば47,000人弱の動員が記録されている。また1998年のアメリカ横断ウルトラクイズでは、5万453人と発表されている[74]。
開場当初、小石川消防署に届けられていた定員は46,314人(そのうち立ち見2,976人)であった[72]。2005年(平成17年)4月13日の産経新聞は、改修を経て現在の数字である45,600人に落ち着いたとある。その後、エキサイトシート新設による増員が行われた。2023年時点で公式ホームページ上では(野球開催時)、約43,500人となっているが[2]、これはグループシートの増加と立見席がほぼ廃止された影響と思われる。
野球以外でのイベントは、2002年12月7日の「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」が主催者発表で74,500人[75]、1998年(平成10年)4月4日の新日本プロレス他主催の「燃える闘魂アントニオ猪木引退試合」が主催者発表で70,000人などの記録がある[76](コンサートや格闘技などはグラウンドにも座席を設けるため、野球開催時より多数の観客を収容できる)。
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1988年(昭和63年)の完成時のスコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。2003年に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」「福岡ダイエー」「千葉ロッテ」など)に変更されたが、2004年にニックネームに戻された(2003年以降の文字はどちらもゴシック体)。
オーロラビジョンは1990年(平成2年)にハイビジョンサイズへ変更[77]、1999年(平成11年)に全面改修された。2001年(平成13年)にサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年(平成15年)にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の打率(AV)、ホームラン(HR)表示に打点(RBI)が加わった。球速表示も単位が"km"から"km/h"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、近鉄は太字の「Bu」が使用された)。選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。2004年(平成16年)のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率(AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年(平成17年)にバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。フォントがCanonの角ゴシックCaに変わり、従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。
2006年(平成18年)から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体の幅が太くなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分がなくなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため指名打者制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。
2007年(平成19年)より、スコアボードをより見やすく、わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。枠の色が緑から文字の部分と同じ黒に変更されており、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用し始めた(巨人主催試合のみ、日本ハムをはじめとするパ・リーグやアマチュアでは表示されない)。
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。2003年(平成15年)の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。2007年(平成19年)からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(2011年までは横浜とオリックスは共に「B」と表示されていた)。ただし、2文字以上表示することも可能であり、2008年のアジアシリーズはSKワイバーンズが「SK」・統一セブンイレブン・ライオンズが「U・L」・天津ライオンズが「T・L」と表示され、2012年に行われたMLB開幕戦ではシアトル・マリナーズが「SEA」・オークランド・アスレチックスが「OAK」と表示された。2012年からDeNAは「DB」と表示されている(オリックスは「B」のまま)。
2011年シーズンから国際慣習に基づき、ボールカウントを「SBO」から「BSO」表示に変更した。
2017年からは一軍での巨人主催ゲームのみにおいて右下のスペースに投手成績、打者成績が表示されるようになった。投手は登板数、投球回数、奪三振、防御率が表示されており、打者は打数、安打、四死球、得点、長打率、出塁率、盗塁数、得点圏打率が表示されている。
2021年のオフシーズンより、2年かけてメインビジョンとサブビジョンの大規模改修工事が予定されていたが[78]、予定を1年早めて2022年シーズン開幕までに完成させる方針を固めた。
当初の予定では、2021-22年のオフシーズンでは従来のオーロラビジョンが設置された箇所+レフト側で最もバックスクリーン寄りにあった広告パネルのうちの1枚+バックスクリーンの回転パネル型広告盤(プリズムビジョン)を一体化して、従来の2倍程度のサイズの大きさにする予定がなされていたが、これを1年前倒しにして、当初2022-23年のオフシーズンにかけて予定していた完成形のものにした。従来の約238m2からみて約4.4倍相当の約1050m2・横幅約125.6mのLED巨大フルカラーボードを旧来のセンターバックスクリーン付近から、広告パネル(11枚)が掲げられていた外野席のほぼ全体にかけて設置するもので、画質もプロ野球公式戦が行われる球場では最高峰のものとなった。ビジョンの拡大により、従来から看板広告を提供していた協賛各社のパネル(引き続き看板を掲示する左中間・右中間各1枚を除き、かつ初代オーロラビジョンが設置された箇所相当分を含め10枚相当)と、バックスクリーンに提供していたパネル広告は、リニューアルされた電光掲示板にも再現され、リボンビジョン(後述)と同じように様々なパターンの広告を掲示できるようになった[79]。また、それまで常設であった時計とボールカウンターについては、ビジョン内で表示する形式に変更された。
この新メインビジョンと連動する形で、音楽や照明との一体化した映像や静止画、アニメーションなどの映像演出を展開するほか、外野席のフェンス最前列に、ポール際から左中間・右中間に向かう形で設けられるリボンビジョン(縦1.28m×横53.76m、面積68.813m2、画素ピッチ10㎜×2面)を設置した。
このほかスコアボードとの連動によるDMXというシステムを使い、各種映像演出と一体化した照明パターンを展開している[80]。
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ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク、ニッポン放送、ラジオ日本、テレビ朝日、NHK、日本テレビ、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送、CBCラジオ、ラジオNIKKEI、RKB毎日放送、朝日放送ラジオ、MBSラジオ)となっている。
6社共同ブースは、ラジオNIKKEIは日本短波放送時代に後楽園球場からプロ野球中継を行っていた名残で使用権を持っているが、2021年現在は中継の制作を行っていない。北海道放送とRKB毎日放送は交流戦の巨人主催試合、あるいは日本ハム・ソフトバンクの主催またはビジターのパ・リーグ公式戦で(2017年以前はTBSラジオの、2018年以降の平日は文化放送の、週末はニッポン放送のブースを借りる場合もある)、CBCラジオは巨人主催試合を聴取率調査期間中や一部週末デーゲームに自社制作する時に使う程度である(後者の場合は2017年まではTBSラジオの、2018年以降はRFラジオ日本のブースを借りることもある)。
東京ケーブルネットワークの放送席は地上波のテレビ埼玉(過去に千葉テレビ放送も)、CS放送のGAORA(プロ野球・日本ハム主催試合と都市対抗社会人野球)、スカイ・エー(アメリカンフットボール社会人Xリーグ)、BS放送のJ SPORTS(プロ野球・楽天主管試合とアジアシリーズ)に使われるほか、ラジオの巨人主催試合を朝日放送ラジオとMBSラジオが並行して制作する場合に朝日放送ラジオが使用する(この場合、MBSラジオが前述の6局共用ブースを使用。2010年以降週末を挟む三連戦でRFラジオ日本や文化放送が中継を一切行わない場合、朝日放送ラジオはRFラジオ日本や文化放送のブースを使うこともある)。
TBSラジオが2017年を最後にDeNA主催試合の裏送り以外の野球中継から撤退したため、TBSラジオのブースは予備ブース扱いとなり、FM NACK5が東京ドームから西武が関与する試合を中継する時に同ブースを使用したことがある。2021年に行われた東京ドームでのDeNA主催試合におけるTBSラジオのビジター地元局への裏送りで、どのブースが使われたかは不明。
放送席に入るために一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。日本テレビの番組宣伝などで中継ゲストに有名芸能人が登場したときは試合終了後に放送席裏のコンコースが人だかりして混乱する。
21番ゲート右側に野球殿堂博物館が併設されている[81]。この施設も後楽園球場から「野球体育博物館」の名称で受け継がれてきたが、2013年4月1日に現在の名称に変更された[82]。
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東京ドームは、野球開催時に以下のような規制を行っている。
応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは持込できない[84]。試合中に掲げても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされているため、発見され次第係員に没収される。
巨人主催試合は1993年(平成5年)まで、日本ハム主催試合は2006年(平成18年)まで太鼓を使用できなかった。理由は一説によると、東京ドームの応援規制が緩和された1994年(平成6年)に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット(トロンボーン)持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペット(トロンボーン)を選択したといわれる。日本ハム主催試合で2007年(平成19年)以降太鼓が認められるようになったのは、巨人主催試合のビジター戦では太鼓が認められ(パ・リーグ他球団主催試合については不明)、ホーム戦で認められないことに対する矛盾を解消する事が理由であると言われる。
2016年12月が会社創立80周年に当たることから、同年1月から2019年1月の3年間にわたり、1988年の開業以来初となる大規模改修工事を行った。総事業費は約50億円で、一部休業期間を設けるが基本的に営業を継続しながら段階的に実施する。主なリニューアル内容は以下の通り[89][90][91][92]。
前述の通り2021 - 2023年のオフシーズンを利用し、2期に分けてスコアボードの大型化拡充のほか、エントランスや客席のホスピタリティーの改善を進めていく予定だったが、2021 - 2022年のオフシーズンに工期を短縮して展開することになった[80]。
2024年4月19日、東京都が中央区築地の旧築地市場周辺の跡地の再開発について、東京ドームの親会社である三井不動産グループを中心とした企業体が事業者となったと発表した。この中には、5万人収容可能な多目的スタジアムの建設が計画されており、一部報道では老朽化が進む東京ドームに代わる巨人軍の本拠地として使用することが想定されていると報じられた[93]。
後楽園球場から引き続き、セントラル・リーグの読売ジャイアンツ(以下、巨人と記す)とパシフィック・リーグの日本ハムファイターズ(当時)の2球団が専用球場(本拠地)とした。日本ハムは2004年度に北海道の札幌ドームに移転したため[94]、以降は巨人のみが専用球場としている。巨人は一軍だけでなく、二軍の公式戦でも年に数試合使用する。
開場以来、レギュラーシーズンに年間60試合強の主催試合を開催する。2024年までにクライマックスシリーズが10度、日本シリーズが11度開催されている[注 8]。
日本ハムの本拠地ではなくなった2004年以降は、日本ハムも地方開催という形で継続して主催試合を開催したほか、パシフィック・リーグの日本ハム以外の球団も東京ドームで主催試合を行うようになった。日本ハム以外では、2004年に初めてオリックスが2試合、ダイエーが1試合の主催試合を東京ドームで開催したのを皮切りに、2005年と2007年から2009年にかけてはオリックスが2試合を、2010年から2019年までは楽天が毎年1試合を、ソフトバンクが2012年以降毎年1試合(2018年と2019年は2試合)を、ロッテが2016年と2018年・2019年に1試合を、西武が2018年に1試合を、それぞれ東京ドームで開催した。このように、パ・リーグの現存する6球団は全球団が主催試合の開催実績を持つ。
一方、巨人以外のセ・リーグ各球団については2010年代まで開催実績はなかったが、東京オリンピック・パラリンピック開催の関係でヤクルトとDeNAが2021年に初の主催試合を行ったほか、シーズン日程消化の兼ね合いから同年の日本シリーズの第3戦から第5戦(ヤクルト主催試合)も行われた(経緯の詳細は後述)。
なお、1952年に日本プロフェッショナル野球協約第38条によって制定された「プロ野球地域保護権」により、東京都の同権利を持たない球団が主催試合を開催する場合、権利を持つ読売ジャイアンツと東京ヤクルトスワローズの両球団に予め承諾を得ることが前提条件となっている。
移転前年の2003年11月に東京ドームで開催された東京時代最後のファンフェスティバルで、今村純二球団社長(当時)が「移転後も、東京ドームで12から15試合を引き続き開催します」とファンの前で宣言した。東京ドームでの開催を継続する理由として、東京都にも球団事務所があること、二軍施設は隣県の千葉県鎌ケ谷市のまま継続されていることに加え、旧来の東京のファンの存在を考慮したことなどが挙げられた。
2004年は東京ドームでの主催試合が12試合行われ、2005年は10試合、2006年から2019年までは毎年7〜9試合の主催試合が組まれた[注 9][注 10]。ただ、2020年以降は縮小され、2020年は当初の発表では東京オリンピック・東京パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで4試合の開催予定に留まり[95]、その4試合も新型コロナウイルスの影響で開催されなかった。2021年は同年に延期となった東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで5試合の開催となった。2022年は3試合のみとなり、2023年は全主催試合を新球場のエスコンフィールドHOKKAIDOで開催したため、東京ドームでの開催は35年で途絶えることとなった[96]。
オリックス・バファローズは親会社であるオリックスの本店機能が東京にある関係で(大阪府が発祥のため、本社は東京と大阪の2ヶ所体制)、ブルーウェーブ時代の2004年から2009年まで年間2試合の主催試合が組まれた[注 11]。2010年以降は開催していない。
福岡ダイエーホークス時代の2004年6月15日に1試合の主催試合を開催[注 12]。ソフトバンクが親会社となって以降では2012年から「鷹の祭典in東京ドーム」として2017年までは主催試合を毎年1試合を開催し、2018年は7月9日と10日に、2019年も4月22日[注 13]と7月8日にそれぞれ2試合ずつ開催。2020年・2021年は当初から開催日程に組まれなかったが[95]、2022年以降は「鷹の祭典in東京ドーム」として6月ないし7月に1試合が行われている[97][98]。
東北楽天ゴールデンイーグルスは2010年から「楽天グループデー」として主催試合を毎年1試合開催している。2020年から2022年までは開催していなかったが[95]、2023年より再開している[99]。
千葉ロッテマリーンズは2016年7月12日にマリーンズ誕生・本拠地千葉移転25周年の記念事業として39年ぶりの都内主管試合の会場として使用した[注 14][100][101](地方開催自体が11年ぶり)。2017年は開催しなかったが、2018年は8月21日に、2019年は8月22日に[注 15]、それぞれ開催された。2020年から2022年までは開催していなかったが、2023年に対埼玉西武戦が開催された[注 16][102]。
埼玉西武ライオンズは2018年4月17日に「ライオンズクラシック2018」として、初めて東京ドームでの主催試合を開催[103]。2020年4月21日にも主催試合が開催される予定だったが、新型コロナウイルスの影響でプロ野球の開幕が延期となり、中止となることが決定した[95]。2023年は5年ぶりに、4月18日に対ソフトバンク戦が開催された[104]。
東京ヤクルトスワローズは2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催期間中とその前後は、本拠地である明治神宮野球場が資材置き場・VIP待機場所として使用されるため7月6日から9月13日の2か月以上にわたり利用不能になることから、東京ドームでの主催試合を7月上旬から9月上旬にかけて11試合行う予定であったが[105][106][107]、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピック・パラリンピックとも開催が延期されたため、東京ドームでの主催試合分はすべて明治神宮野球場での開催に変更になった[108]。2021年は延期となった東京オリンピック・パラリンピック開催期間中とその前後は、本拠地である明治神宮野球場が資材置き場・VIP待機場所として使用されるため7月中旬から9月上旬まで利用不能になることから、東京ドームでの主催試合が8月27日から29日(対DeNA・3試合)、および9月3日から5日(対広島・3試合)の計6試合が開催されている。
また同年の日本シリーズはヤクルトが進出したが、シーズン日程消化に伴うシリーズ延期に伴い神宮球場の使用日程が第52回明治神宮野球大会と重なったことから、11月23日 - 25日に行うホームゲームはすべて東京ドームで行われた[109]。
横浜DeNAベイスターズは2020年の東京オリンピックにおいて本拠地の横浜スタジアムが野球・ソフトボールの会場として使用することから準備を含め6月9日から8月23日までの約2か月半利用不能になることから、東京ドームでの主催試合を6月下旬から7月上旬にかけて6試合行う予定としていた[105][107][106]が、東京ヤクルトスワローズと同じく、東京オリンピックの開催が延期になったことを受けて、すべて横浜スタジアムでの開催に変更になった[108]。2021年は延期となった東京オリンピックの野球・ソフトボール競技の会場として横浜スタジアムが使用することから準備を含め6月中旬から8月中旬まで利用不能となることから、東京ドームでの主催試合が6月18日から20日(対広島・3試合)、および8月17日から19日(対阪神・3試合)の計6試合が開催された。