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東海村立石神小学校
茨城県東海村にある小学校 ウィキペディアから
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東海村立石神小学校(とうかいそんりついしがみしょうがっこう)は、茨城県那珂郡東海村石神外宿に所在する公立の小学校。通称は石小(いししょう)。
沿革
要約
視点
石神小学校は1872年(明治5年)に発せられた学制を受けて開校する[1]。1872年に学制が発せられると、各地に小学校が続々と開校した。石神地区においては当地に居住する茨城県大属や区長らが学校設立を発起し、石神外宿村、本米崎村、向山村、船場村の4村が共同で設立する方式をとり、1873年(明治6年)3月に「温良舎」と称し石神外宿村の神官・永山次孝の住宅に開校した[2]。
その後まもなく黒沢勇之介の住宅へ移転[3]。同年9月には校舎の建設に取り掛かり、翌1874年(明治7年)1月に完成し移転した[3]。その後「石神小学校」へ校名を改めた[3]。
1879年(明治12年)7月、郷倉の材木を用いて建坪34坪(約112.3平方メートル、うち教室部分30坪(約99平方メートル))の校舎を新築した[3]。この時点で敷地面積589坪(約1,947平方メートル)、運動場は555坪(約1,834平方メートル)であった[3]。
1889年(明治22年)には町村制が施行され、石神外宿村、石神内宿村、亀下村、竹瓦村、舟石川村の5村をもって石神村が発足した[4]。これに伴い、同年9月に石神外宿1055番地(現在地)に100坪7合5勺(約332平方メートル)の新校舎を建設し移転した[4]。同時に校名を「石神尋常小学校」と改め、石神村全域を学区とした[4]。校舎は従来より3倍以上拡大した一方、窓はガラスの代わりに障子張りで、廊下側の壁は腰板のみと時代に反して簡素な仕上げであったことから、「障子の学校」と呼ばれた[5]。
児童の増加を受け、1909年(明治42年)12月には校舎を145坪(約479平方メートル)増築し、翌1910年(明治43年)1月より使用開始した[6]。また同年5月には高等科を置き、尋常科6年、高等科2年からなる「石神尋常高等小学校」に改称した[7]。
1941年(昭和16年)4月に国民学校令が公布されると、校名を「石神国民学校」に改め、尋常科は初等科となった[2]。1947年(昭和22年)4月には学制改革により校名を「石神村立石神小学校」に改称すると同時に、新制中学校「石神村立石神中学校」を併設し従来の高等科児童を編入させた[8]。なお、石神中学校は翌1948年4月に村松村の村松村立村松中学校と統合して村松石神組合立東海中学校となり、同年9月に舟石川地区へ移転しているため、1年半の併設に終わっている[9]。
1955年(昭和30年)3月、石神村と村松村が合併し東海村が発足したのに伴い、校名を現在の「東海村立石神小学校」と改めた[10]。1959年(昭和34年)には創立70周年記念式典を行い、校章・校旗・校歌を制定した[5]。
1964年(昭和39年)11月、新校舎が完成した[11][12]。
1969年(昭和44年)8月、プール開きが行われた[13]。
1973年(昭和48年)5月、文部省の48年度学校給食改善研究指定校となる[14]。
1977年(昭和52年)3月、創立100周年記念式典を開催した[15]。
2002年(平成14年)6月、改築工事が起工する[16]。
2003年(平成15年)10月、新校舎が完成する[17]。
2007年(平成19年)12月、創立130周年記念「石神祭」を開催する[18]。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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