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松岡洸希

日本のプロ野球選手 ウィキペディアから

松岡洸希
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松岡 洸希(まつおか こうき、2000年8月31日 - )は、埼玉県桶川市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。

概要 北海道日本ハムファイターズ #93, 基本情報 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

東京ヤクルトスワローズ読売ジャイアンツの試合で、青木宣親の活躍を見たのを機に、さいたま市立浦和大里小学校1年生の時に野球を始める。少年野球チームの「浦和ビッグウェイブ」に所属していた[2]

家から近いという理由で桶川市立桶川中学校から地元の公立校、埼玉県立桶川西高等学校へ進学[3]。進学当初は身長154cmと小柄で、守備位置は三塁手・遊撃手であったがチームの事情で3年春からは投手も兼任した[3]

投手に転向した当初は球速110km/h - 120km/hの間だったが、最終的には最速143km/hを記録するようになり[4]、身長も179cmに達した[3]

3年時の夏に行われた第100回全国高等学校野球選手権記念大会北埼玉大会では、2回戦(初戦)で花咲徳栄高校を相手に3打数3安打で適時打も記録したものの、1-10とコールドで敗れた[3][5][6]

後に北海道日本ハムファイターズに2位指名された野村佑希と対戦している[7]

秋にはプロ志望届を提出したが、指名漏れとなった[8][9]

高校卒業後に最短でのプロ入りを目指し、入団1年でNPBドラフト会議の指名対象となることが可能な独立リーグに挑戦。 BCリーグのドラフト会議で、埼玉武蔵ヒートベアーズから、特別合格枠で指名され、入団した[3][10]

BCリーグ・埼玉武蔵時代

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埼玉武蔵時代(2019年12月)

高校在学中の2018年11月、練習中に肘を痛めたこともあり、武蔵入団2か月後の2019年4月に、身体の使い方を見た角晃多監督、片山博視投手コーチ兼選手(当時)によりオーバースローからサイドスローに転向を勧められ、さらに投手としての技術とメンタルを教えられたことで才能が開花[4][11]。6月に行われた横浜DeNAベイスターズの二軍戦では1回3奪三振と好投を見せ[12]、元東京ヤクルトスワローズ林昌勇をモデルに投球フォームを作り上げると[10]、9月にはオリックス・バファローズの二軍との交流戦で最速149km/hを記録[4]。最終的には32試合登板、27回2/3で0勝2敗、防御率3.58、33奪三振、奪三振率10.24を記録し、ドラフト会議前までにNPBから調査書が10球団から届くまでになった[13][7][14]

2019年10月17日に行われたドラフト会議では、リーグ未勝利ながらも埼玉西武ライオンズから3位指名を受けた[4]。BCリーグ出身選手の3位指名は、過去最高位であった。11月13日に契約金4500万円、年俸750万円(金額は推定)で入団に合意した[15][16]。背番号は47[17]

西武時代

2020年は、10月11日に一軍初昇格[18]。同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)で救援投手として一軍初登板。しかし、1回2失点と結果を残せず、2回目の登板となった10月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)でも救援登板したが1回1失点を喫した。この2試合の登板のみで、同17日に登録を抹消され[19]、そのまま二軍でシーズンを終えた。二軍では19試合に登板して防御率7.77、一軍では2試合の登板で防御率13.50という成績であった。

2021年は、5月5日にシーズン初の一軍昇格となったが[20]、5試合の登板で防御率11.25と結果を残せず、6月7日に登録抹消となった[21]。その後は6月11日の二軍戦を最後に実戦から離れており、9月13日に右肘関節鏡視下滑膜切除術を受け、実戦復帰には全治3 - 4か月を要する見込みであることが同17日に球団から発表された[22]

2022年は、実戦復帰を果たしたが、一軍登板のないままシーズンを終えた。8月に新型コロナウイルス感染による離脱もありながら[23]、二軍ではチーム最多の31試合に登板[24]。7月末の22試合登板時点で防御率7.94と結果を残せていなかったが[25]、後半は調子を上げ、最終的には防御率を5.95まで改善させた[24]

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2022年9月24日ベルーナドームにて

日本ハム時代

2022年12月9日、初めて開催された現役ドラフトで、北海道日本ハムファイターズから1巡目で指名され移籍した[26][27][28]スポーツニッポンの報道によると、日本ハムが1番目の指名権を獲得したとされる[29]。12月15日に入団会見が行われ、背番号は68となった[30]

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2023年5月14日 ファイターズ鎌ケ谷スタジアムにて

2023年は一軍での登板はなく、二軍では23試合に登板し、2勝6敗、防御率4.81という成績だった[31]。オフの10月29日に戦力外通告を受け、11月19日に育成選手として再契約した。背番号は168となる[32]

2024年は二軍で18試合に登板。2勝2敗、防御率4.31の成績だった[33]。規定により10月31日に自由契約選手として公示された[34]が、11月17日に再契約した[35]

2025年オープン戦で好投し、3月8日には支配下選手に復帰することが会見で発表された[36]。背番号は93[36]。3月30日の西武戦で移籍後初の一軍登板、ならびに4年ぶりの一軍登板を果たし、無失点に抑えた[37]。だが4月5日のオリックス戦では2回3失点を喫して登録抹消[38]。最終的に一軍では3試合の登板で防御率6.75[39]、二軍でも32試合の登板で防御率5.76の成績だった[40]。10月28日、球団から戦力外通告が発表されるとともに、育成選手としての再契約が打診されたと報じられた[41]

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選手としての特徴

林昌勇を参考にしたフォームが特徴のスリークォーター気味のサイドハンド[4][42]。独立時代のストレートの最速は149km/h[4]。変化球はスライダーチェンジアップカットボールカーブを操る[3]

NPB1年目を終えて変化球の重要性を感じ、2年目からは持ち球にフォークを加え、ストレート・スライダー・フォークの3球種で配球を組み立てている[43]

人物

趣味はアニメ、映画鑑賞。好きな作品は『FAIRY TAIL[44]

TBSテレビアナウンサー熊崎風斗は従兄にあたる[45]

育成選手として2年目を迎えることとなった2025年シーズンの初夢は、「丸刈り頭の自分がエスコンフィールドHOKKAIDOの一軍マウンドで登板していた」であった。「わかりやすく、誰からも『コイツ覚悟あるな』と思われるのはやっぱり容姿かなと思った」としてすぐさま丸刈りにしたという。松岡はその年のシーズン開幕前に支配下復帰を果たしている[36]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時

記録

NPB

初記録

独立リーグでの投手成績

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背番号

  • 19(2019年)
  • 47(2020年[17] - 2022年)
  • 68(2023年[30]
  • 168(2024年[32] - 2025年3月7日)
  • 93(2025年3月8日[36] - )
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脚注

関連項目

外部リンク

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