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松島トモ子

日本の女性歌手、女優、タレント (1945-) ウィキペディアから

松島トモ子
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松島 トモ子(まつしま ともこ、本名:松島 奉子[1](読みは同じ)、1945年昭和20年)7月10日 - )は、日本女優歌手タレント[2]。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。

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1955年(昭和30年)
概要 まつしま ともこ 松島 トモ子, 本名 ...

満洲国奉天(現・瀋陽市)生まれ[3]東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール英語版卒業。現在も東京都在住。

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略歴

三井物産に勤める父の仕事の関係で満洲国に母と移住した後、1945年に松島が生まれた[3]。本名の奉子は生誕地の奉天に帰する。生後まもなく満洲国からの引き揚げを体験。

乳児期に「くる病」にかかって右脚が曲がり、脚の矯正のため[3]3歳から石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始める。

映画館の劇場ニュースにて、石井門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていたトモ子を阪東妻三郎スカウト[3]

1949年(昭和24年)、阪東が出演する東横映画『獅子の罠』に出演し、わずか4歳で芸能界デビュー[3]。このほか、嵐寛寿郎主演の時代劇『鞍馬天狗』(杉作)、大友柳太郎との『丹下左膳』(ちょび安)、江利チエミとの『サザエさん』(磯野ワカメ)など多くの映画に出演、80本の映画で主演を務めた[2][4]

歌手としても米山正夫門下となり、1953年(昭和28年)、コロムビアより「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。その後も、「三匹の子豚」(ディズニーの「狼なんか怖くない」のカバー)、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌挿入歌を吹き込んだ。

少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌『平凡』でも雑誌モデルを務めた。このように子役として活躍したが、当時松島母子の身近には子役活動に否定的な人がいたり、本人も食べていくために子役として活動していたなど複雑な思いもあったという[注釈 1]

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映画『やがて青空』右端、松島(1955年)

大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクール英語版に2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金を貰い、研修し、帰国。

帰国後はミュージカルラジオパーソナリティ、CMでは江利チエミの後任として石垣食品ミネラル麦茶、『ひょっこりひょうたん島』の声優などで活躍を見せた。[5]

松島が70歳の時に母が認知症を発症し5年5カ月の介護生活を余儀なくされた[4]

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エピソード

要約
視点

巣鴨プリズン慰問

1950年(昭和25年)11月19日、5歳の松島は舞踏の師匠石井漠らと共に、当時第二次世界大戦戦犯の収容施設であった巣鴨プリズンの鈴木英三郎所長から、収容所近くの米軍専用の劇場に招かれ慰問した。司会者が、三井物産タイハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したことを紹介すると、会場は静まり返った(後日、父はナホトカ郊外の収容所で1945年(昭和20年)10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした少女の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った[3]。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。

2度の猛獣襲撃事故

1986年(昭和61年)の41歳の時に日本テレビTIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になった[6]1月28日ジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビコラ動物保護区英語版エルザの子孫でジョージによりラクダの肉で餌付けされ人に慣れた雌ばかり7頭らライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージがキャンプとの無線で松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、松島は宙に飛び10メートルほど引きずられサファリスーツはズタズタ、首や太腿に全治10日の怪我を負う[7](目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられた。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。

10日の入院予定だったが3日で退院して仕事を再開[7]、再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフで責任者のトニー・フィッツジョン英語版と共にこの保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、そのヒョウが夜陰に乗じて柵を跳び越えて待ち伏せており、迂闊にも目を合わせてしまった松島に体当たりで奇襲してきた。奇襲を受けて地に倒された松島はそのまま首を噛み付かれ、なおかつ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音が聞こえ[7]、「死んだ」と思ったという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主のトニーが、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。また、松島の目が大きいのも襲われる理由だと後で言われた[7]

この後、松島は救助隊救急ヘリを要求したが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否されてしまう。結局、朝まで止血しながら耐える羽目になり、その後、朝になり救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれ、第四頚椎粉砕骨折[注釈 2]という診断を受けたが、ヒョウの噛む位置があと1ミリずれていたら松島は間違いなく死んでいただろうとされる[7]。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表されたほどである[7][注釈 3]

ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[10]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[11]

この事故が発生する前、1986年の元日に松島からアナウンサーの伊藤勉に送られてきた年賀状には、仕事でアフリカに行く予定である旨が書かれていると同時に、「ライオンに食べられないように祈って下さいませ。またお目にかかれますように」とも書かれていた。後年、この件について伊藤は「まさか本当にあんな事件が起こるとは思ってませんでしたから、笑って軽く読み流したんです。あの時は本当に私の祈りが足らなかったのではないかと悔やみました」と語った。一方、松島本人は、年賀状の効果はなかったのではないかと問われた際に「いいえ、ありましたよ。あれを書いていなかったら命があったかどうか。皆さんの祈りが通じて、噛まれただけですんだんだと思います」と返答している[7]

後年永六輔の番組にゲスト出演した際、永が「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と松島を紹介、その時は驚きのあまりステージの袖で立ちすくんだものの観客は大受けし、松島自身もその後この「ライオンの餌」が気に入ったフレーズになっており、自身の公式ブログのタイトルにも用いられている[12]

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その他

私生活では幼い頃から母親と支え合うように暮らしてきたため、周りから「一卵性母子」と呼ばれるほど仲が良かった[3]。また、長年に渡って家事全般は全て家政婦にしてもらっており、2021年に母を亡くしたことで77歳にして生まれて初めて一人暮らしとなったが、現在もお手伝いさんに週5日来てもらい家事をしてもらっている[3]

ある年の浅草寺の豆まきに陸上競技指導者の瀬古利彦と共にゲストに招かれ、これが縁で交流するようになった。瀬古の方が年下だが「お兄ちゃん」と呼び慕い、時々食事に行くなどしている[3]。瀬古からは「上品で独特の雰囲気がある人なんだけど、ふわふわとして何を喋りだすかわからない。目がものすごく大きいし、ちょっと宇宙人みたいな所がある人(笑)」と評されている[3]

主な出演

映画

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『鞍馬天狗 御用盗異変』(1956) 左は嵐寛寿郎

ラジオドラマ

テレビドラマ

ラジオ

バラエティー

その他のバラエティー

CM

ラジオ

テレビアニメ

吹き替え

人形劇

舞台

  • 絵本昔話狐嫁入(1988年、劇団すぎのこ) - おこん(声の出演)[22]
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著書

  • 『ニューヨークひとりぼっち ミュージカル留学記』集英社 1965年(昭和40年). NCID BA3886773X
  • 『母と娘の旅路』文芸春秋 1993年(平成5年)3月ISBN 978-4163472607
  • 『車椅子でシャル・ウイ・ダンス』海竜社 1999年(平成11年)7月ISBN 978-4759305951
  • 『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年(平成16年)2月ISBN 978-4839701154
  • 『老老介護の幸せ 母と娘の最後の旅路』飛鳥新社 2019年(令和元年)12月ISBN 978-4864107372

ディスコグラフィ

シングル

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デュエット・シングル

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企画シングル

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アルバム

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脚注

参考文献

外部リンク

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