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松平斉孝
日本の江戸時代後期の大名。美作津山藩5代藩主松平康哉三男で、津山藩7代藩主(5万石→10万石)。津山松平氏7代当主。従四位上左近衛中将 ウィキペディアから
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松平 斉孝(まつだいら なりたか)は、江戸時代後期の大名。美作津山藩7代藩主。官位は従四位上・越後守、左近衛中将。
略歴
5代藩主・松平康哉の三男として誕生。初名は克孝のち康孝。
文化2年(1805年)に兄で6代藩主・康乂の死去により、その養子として家督を継ぐ。この頃、津山藩は御家門であるにもかかわらず、石高や待遇において冷遇されていた。これに不満を持った康孝は、幕府にかつての10万石への復帰を訴えた。嫡男がいなかったためと家格復活を実現させるため、幕府からの要請もあり、文化14年(1817年)に11代将軍・徳川家斉の十五男・銀之助(後の斉民)を養嗣子として迎えた(10年後に四男・龍次郎(のちの9代藩主慶倫)が誕生する)。これにより、津山藩は5万石を加増され、昔の10万石に戻されることとなり、官位・家格も向上した。
系譜
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