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松木朝彦
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松木 朝彦(まつき ともひこ、文政10年8月21日〈1827年10月11日〉 - 明治22年〈1889年〉7月12日)は、江戸時代末期の公卿。
生涯
文政10年8月21日(1827年10月11日)、松木範彦の子として生まれた[1]。
文久2年5月9日(1862年6月6日)、従三位に叙され、公卿(非参議)に列せられた[2]。このとき外宮五禰宜であったが、同年4月22日(1862年5月20日)に外宮一禰宜檜垣常善が薨去したことにより[3]、のちに一階昇り、外宮四禰宜となった[4]。『公卿補任』では、明治元年(1868年)まで外宮四禰宜であったことが見える[5]。
明治5年3月15日(1872年4月22日)、隠居し、家督を長男美彦に譲った[1]。
明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法公布に合わせて、特旨を以て改めて従五位に叙された[6][7]。同年7月12日、卒去した[8][1]。
脚注
参考文献
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