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林忠一
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林 忠一(はやし ただかず、1883年(明治16年)11月15日[1] - 1952年(昭和27年)12月23日[1][2])は、大正から昭和期の弁護士、政治家、華族。貴族院男爵議員。

経歴
旧上総国請西藩主家当主・林忠弘の長男として生まれる[1][3]。
1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][3][4]。第10師団法官部理事を経て[3]、1917年(大正6年)大阪地方裁判所所属弁護士となった[2][3]。同年1月31日[注 1]、前年の忠弘死去に伴い男爵を襲爵した[1][3][5]。
1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
栄典
親族
脚注
参考文献
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