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林忠恕

建築家 ウィキペディアから

林忠恕
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林 忠恕(はやし ただひろ、1835年6月9日天保6年5月14日[1] - 1893年明治26年)3月21日)は、日本の建築家。擬洋風建築の建築技師三重県出身。

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林忠恕

横浜の居留地で西欧人から洋風建築を学び、正式な教育を受けた日本人建築家が本格的に活躍し始めるまでの過渡期、建築家の役割を果たし、いわゆる擬洋風建築を多く手掛けた。

経歴

横浜市大工として居留地の建築に従事し、アメリカの建築家リチャード・ブリジェンスに西洋建築を学ぶ。その後、明治時代初期の中央官公庁営繕を主導した。

1835年(天保6年) 5月14日、伊勢国三重郡吉沢村(現・三重県三重郡菰野町)に生まれる[1]。1865年(慶応元年) 横浜で英国人ドール、米国人プリッジェンスに西洋建築法を学ぶ。1871年(明治4年) 営繕寮雇。1872年(明治5年)横浜税関建築のため出張。1874年(明治7年)工部省製作寮雇。1884年(明治17年)米国博覧会出品調査並びに風害家屋調査。1885年(明治18年)英国博覧会出品に関する調査事務。1886年(明治19年)海軍省横須賀鎮守府勤務。

作品

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参考文献

  • 「朝日日本歴史人物事典」

出典

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