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枝松千葉助
日本の武術家 (1835-1918)。足守藩武道指南番 ウィキペディアから
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枝松 千葉助(1835年 - 1918年)は、日本の武術家である。足守藩武道指南番を務め藩主や藩士に武芸の指導を行った。
経歴
1835年8月15日(天保6年7月21日)足守藩士の枝松十郎右衛門の長男として生まれる。父の枝松十郎右衛門は、足守藩武道指南番を務めていた。
枝松千葉助は荻野流砲術を荻野房之進、田宮流居合を石原團之進、日置流弓術を吉田兵太夫、大坪流馬術を柴崎左司馬、種田流槍術を津田作左衛門より学ぶ。また一刀流と起倒流を枝松十郎右衛門から学び全ての免許を得た[1]。
1852年(嘉永5年)藩命により江戸に上り、神田明神下の竹中元之進、竹中鉄之助より起倒流柔道、芝西久保の戸塚彦介より戸塚派楊心流、麻布永坂の森要造より北辰一刀流を学び免許皆伝を受けた。
1855年(安政2年)帰藩して足守藩の武道指南番となった。
1860年(万延元年)四国九州中国京畿各地の剣柔師範を訪問し試合を行った。
1918年2月21日(大正7年2月21日)に病没[2]。
脚注
参考文献
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