トップQs
タイムライン
チャット
視点
柿岡藩
日本の江戸時代前期に、常陸国に所在した藩 ウィキペディアから
Remove ads
藩史
寛永元年(1624年)、常陸国新治郡柿岡をはじめ、上野や下野において5000石の知行を領していた稲葉正勝は、常陸国真壁郡に5000石を加増されて1万石の大名となり、柿岡藩が立藩した。正勝の父は小早川秀秋に仕えた家老・稲葉正成。母は稲葉重通の養女・春日局で、正勝自身も徳川家光に仕えていたことから加増を受けたのである。
正成が寛永5年(1628年)に死去すると、正勝は家督と父の所領であった下野国真岡藩を継ぐこととなって真岡に移ったため、柿岡藩は廃藩となり、その所領は真岡藩に組み込まれた。
歴代藩主
- 稲葉家
1万石。譜代。
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads