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栄嬪
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栄嬪(えいひん、? - 道光6年(1826年)5月10日)は、清の嘉慶帝の妃嬪。姓は梁佳氏。内務府上三旗包衣の出身。父は員外郎光保。
生涯
梁氏は潜邸(皇子時代の宮邸)において嘉親王永琰(後の嘉慶帝)に仕えていたが、具体的な侍奉の開始時期は不明である。 ただし、乾隆60年(1795年)の時点で、皇太子の妃嬪構成として以下の者が記録されている。
- 皇太子妃:喜塔臘(ヒタラ)氏
- 皇太子側妃:鈕祜禄(ニオフル)氏
- 官女子:劉佳(リウギャ)氏、侯佳(ホウギャ)氏
このうち、記録にある官女子2名がすでに確定しているため、梁氏は皇太子(永琰)が即位する直前に寵愛を受けた可能性が高い。
嘉慶帝の後宮での地位
嘉慶元年(1796年)1月1日:梁氏は榮常在に封じられる。
嘉慶11年(1806年)1月、榮貴人に昇格。
道光帝の即位と封号の変遷
嘉慶25年(1820年)7月、嘉慶帝が崩御。
同年12月、新皇帝道光帝は即位に伴い、恩貴人・榮貴人・安常在の三名の庶母を昇封。
榮貴人 は「皇考榮嬪」として尊封される。
その後は如貴妃・鈕祜禄(ニオフル)氏と共に寿中宮に居住した。
また、内務府が提出した満文の奏折によると、榮貴人・榮嬪の「榮」の文字は翻訳されず、満文でもそのまま「rung」と記されていた。これは「榮」が単なる称号ではなく、梁氏の姓や名前と関係がある可能性を示している。
薨去と安置
道光6年(1826年)5月10日、薨去。
道光7年(1827年)2月28日、昌陵の妃園寝(清西陵)に安置された。
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伝記資料
- 『清史稿』
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