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栗山勝三

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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栗山 勝三(くりやま しょうぞう、1854年9月28日安政元年8月7日[1]) - 1940年昭和15年)10月[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

山城国、のちの京都府出身[1][2][3]。士族・栗山惣七の長男として生まれ、1874年(明治7年)家督を相続する[1]沼津兵学校第6期資業生[4]1875年(明治8年)陸軍士官学校に入学し(旧2期[2][3][1]1879年(明治12年)2月、陸軍砲兵少尉に任官する[5]1887年(明治20年)イタリアへ留学し、1897年(明治30年)欧米へ赴任した[6]。この間、陸軍教導団教官、大阪砲兵廠製造所長などを歴任し[1]1902年(明治35年)6月、大佐に進級と同時に砲兵会議審査官に補された[3]

1903年(明治36年)5月、陸軍技術審査部審査官に転じ、1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級と同時に予備役編入となった[2][3]。晩年は京都市伏見区に住んだ[4]

親族

脚注

参考文献

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