トップQs
タイムライン
チャット
視点

桑原将一

日本のプロゴルファー ウィキペディアから

Remove ads

桑原 将一(くわばら しょういち、1969年1月21日 - )は、愛媛県出身のプロゴルファー

概要 桑原 将一Shoichi KUWABARA, 基本情報 ...

来歴

要約
視点

愛媛県立今治南高等学校出身[1]

15歳からゴルフを始め[1]1991年に22歳でプロテストに合格[2] [3]田中秀道と同期で[4]、桑原は尾崎将司率いるジャンボ軍団の一員になる[3]

1993年にはポカリスエットオープンで3位タイ[5]NST新潟オープン東聡と並んでの6位タイ[6]に入った。

1994年にはヨネックスオープン広島8位タイ[7]ブリヂストンオープンでは尾崎将司小達敏昭と並んでの7位タイ[8]1995年にはNST新潟オープンでは杉田勇と並んでの7位タイ[9]に入った。

1996年には東建コーポレーションカップ9位タイ[10]フジサンケイクラシック・ヨネックスオープン広島3位タイ[11] [12]三菱ギャラン6位タイ[13]ジーン・サラゼン ジュンクラシック10位タイ[14]に入った。ゴルフダイジェストでは東聡と共に水巻善典の2位タイに追い込み[15]カシオワールドオープンでは3日目4番で倉本泰信と共にホールインワンを達成し[16]、賞金ランク24位で念願のシード権を獲得[4]

1997年にはジャストシステムKSBオープン・ヨネックスオープン広島4位タイ[17] [18]つるやオープン宇部興産オープン5位タイ[19] [20]JCBクラシック仙台7位タイ[21]に入った。サンコーグランドサマーでは最終日の出だしから3連続バーディでさらに2つ追加してアウトは32、イン入っても11番、15番も放り込んで65ペースとなり、上がりの18番で唯一のボギーを叩いたが、猛烈な追い上げでツアー初優勝[4]。プロ7年目でのツアー初優勝で、試合後には大喜びでプールに飛び込んだ[22]。その後もアコムインターナショナルで5位タイ[23]日本オープンで8位[24]日本シリーズで10位タイ[25]に入り、賞金ランク7位と一役トッププロの仲間入り[3]を果たす。

1998年には東建コーポレーションカップ3位[26]キリンオープン・フジサンケイクラシック7位タイ[27] [28]に入ったが、日本オープン2日目に左親指痛で棄権して以来、左手首腱鞘炎痛、1999年には開幕戦の東建コーポレーションカップで虫垂炎を発症[29]。治った矢先のヨネックス広島オープンでは憩室炎で棄権し、その後は1週間の入院を余儀なくされたが、退院後の試合では3日目まで上位に顔を見せることも多くなった[29]

1999年の宇部興産オープンではスタート前から同組の鈴木亨に左手親指痛を訴えていたが、佐藤信人腰痛で棄権していたため、鈴木ひとりを残してコースを去るわけにもいかなかった[30]。痛みを押してハーフターンしたが、1番ミドルをボギーで終え、とうとう痛みに耐えきれなくなり棄権[30]

1999年のアイフルカップでは3日目の8番、530ヤードのロングホールで、残り235ヤードの第2打を、2番アイアンで4mに着けイーグルとするなど、1イーグル、4バーディ、2ボギーの69をマークし、首位に2打差の4位タイに着け[29]、最終的には9位[31]に入った。

2005年アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン[32]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の2020年にはマルハンカップで篠崎紀夫塚田好宣に次ぐと同時に藤田寛之米山剛河村雅之と並んでの3位タイ[33]に入った。

東京都板橋区のゴルフ練習場「中台ゴルフセンター」インストラクター[34]を経て、現在は「Indoor Golf School BEAGLE」南砂町SUNAMO店プレミアムインストラクター[2]

Remove ads

主な優勝

  • 1997年 - サンコーグランドサマー

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads