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桜井督三

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桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、1898年 <明治31年> 11月14日 - 1978年 <昭和53年> 5月15日)は、日本経営者北越製紙新潟総合テレビ社長などを務めた。位階従四位

概要 さくらい とくぞう 桜井 督三, 生誕 ...

経歴

新潟県広神村(現・魚沼市)の庄屋に生まれる[1][2]

長岡中学(現・新潟県立長岡高等学校)を経て慶應義塾理財科を卒業。1922年九州水力電気に入社[1]1942年九州配電理事に就任。理事になるまで、経理、営業、企画、技術を担当。九州の主なところでは大牟田大分福岡に移り住んだ[2]

1944年日本発送電理事に転じ、1949年7月から1950年9月までに副総裁を歴任。1954年9月から1956年9月までに電源開発理事を務めた[1]

1957年6月に北越製紙会長であった田村文吉からの要請を受けて[2]、同社副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格[1]1968年6月に会長、1973年12月には相談役に退いた[1]。この間、1968年12月に県内第二民放局として開局した新潟総合テレビ社長に就任している[1][2]

1978年5月15日、心不全のために死去[3]79歳没。死没日付をもって従四位に叙された[4]

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脚注

参考文献

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