トップQs
タイムライン
チャット
視点
森本角蔵
日本の漢学者 ウィキペディアから
Remove ads
森本 角蔵(もりもと かくぞう、1883年(明治16年)2月27日[1] - 1953年(昭和28年)3月9日[2])は、日本の漢学者・教育者。
経歴
鳥取県出身。鳥取県師範学校を経て、1911年(明治44年)に東京高等師範学校を卒業し、翌年に同研究科を卒業した[1][3]。同年、東京高等師範学校助教諭となり、教諭、助教授・附属中学校理事を経て、1927年(昭和2年)に教授・幹事となった[1][3]。のち附属中学校主事を兼ねた[4]。
著作
- 『四書索引』(経書索引刊行所、1921年)
- 『鮮満支那ところどころ 雲烟過眼日記』(目黒書店、1926年)
- 『日本年号大観』(目黒書店、1933年)
- 『五経索引』(目黒書店、1944年)
- 『桐蔭間語』(目黒書店、1949年)
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads