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植松寿樹

日本の歌人 (1890-1964) ウィキペディアから

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植松 寿樹(うえまつ ひさき、1890年明治23年)2月16日 [1]- 1964年昭和39年)3月26日[2])は、大正昭和期の歌人。名は壽樹とも書く[1]。歌誌『沃野』を創刊・主宰した。

概要 植松 寿樹, 誕生 ...

経歴

東京市四谷区舟町(現・東京都新宿区舟町)生まれ[1][2][3]。中学時代、電報新聞(現・毎日新聞)の窪田空穂選歌欄に投稿したのをきっかけに師事し、1905年窪田空穂主宰の十月会に入会[1][2]

1914年(大正3年)空穂の『国民文学』立ち上げに参加[1][2]1917年(大正6年)慶應義塾大学部理財科卒業[1][2]大阪加島銀行に入社[1][2]。この時期に川田順木下利玄らと親交を深め[1][2]、「五日会」を興す[1]

1919年に銀行を退職して、大倉商事大阪支店に入社[1][2]。1921年、大倉商事を退職[1][2]朝鮮満洲を旅行した末、1923年(大正12年)に旧制芝中学校国語科教諭に着任[1][2]。新制芝中学校・高等学校となっても勤務を続け、没するまで40年以上を過ごす[1]。生徒とともによく登山し、山岳詠を多く残した。

太平洋戦争後の1946年(昭和21年)に『国民文学』から独立して沃野社を結成[1]、『沃野』を創刊・主宰した[1][2]。1949年、半田良平賞を設定した[1][2]。同会には富小路禎子山本かね子三枝昂之三枝浩樹らが参加したほか、沃野賞なども主催した。没年まで同会の主宰として後進の指導にあたるほか、『万葉集』や橘曙覧に関する著書も手がけた。門人に中島耕一などがいる。

1964年、土肥温泉で心臓麻痺のため急逝[1][2]。墓所は九品仏浄真寺[1]日本近代文学館に「植松寿樹文庫」がある。

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著書

歌集

  • 『光化門』(紅玉堂書店、1927年)
  • 『枯山水』(砂子屋書房、1939年)
  • 『稗畑』(砂子屋書房、1940年)
  • 『庭燎』(砂子屋書房、1940年)
  • 『渦若葉』(沃野社、1950年)
  • 『白玉の木』(新星書房、1964年)
  • 『植松壽樹全歌集』(新星書房、1976年)

その他

  • 『橘曙覽歌集』(紅玉堂書店、1926年)
  • 『江戸秀歌』(春秋社、1959年)

脚注

参考文献

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