トップQs
タイムライン
チャット
視点

樋口祐三

日本のテレビディレクター・プロデューサー ウィキペディアから

Remove ads

樋口 祐三(ひぐち ゆうぞう、1935年11月28日[1]- )は、東京都出身のテレビディレクタープロデューサー

人物

TBSに所属し、円谷一のアシスタントディレクターを経て、『そんなとき私は』で監督デビュー[2]

1966年から1967年に放送された円谷プロダクション制作の『ウルトラマン』では当初はノンクレジットでのTBS側プロデューサーとして参加し、撮影スケジュールの問題から監督としても関わる様になり、第21話・第31話では海堂 太郎(かいどう たろう)名義で脚本も兼任した。『ウルトラマン』で助監督を務めた大平隆は、樋口について「個性を前に出さないが、娯楽作として素晴らしい物を創る」と評価している[3]

1970年代には主に大映テレビ室制作の「水曜8時枠連続ドラマ」枠で放映された『夜明けの刑事』などのプロデューサーを担当。

TBS退社後はオフィス・ヘンミに移籍。

1989年には企画した『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』が放送[4]

水戸黄門』では、第25部から第43部最終回スペシャルの1996年から2011年までプロデューサーを務めた。

Remove ads

監督作品

  • そんなとき私は(1961年)
  • 青年同心隊(1964年)
  • ウルトラマン ※ 脚本も担当
    • 第20話「恐怖のルート87」(1966年)
    • 第21話「噴煙突破せよ」(1966年)
    • 第30話「まぼろしの雪山」(1967年)
    • 第31話「来たのは誰だ」(1967年)

脚本作品

海堂 太郎名義

  • ウルトラマン(1967年)
    • 第21話「噴煙突破せよ」
    • 第31話「来たのは誰だ」
  • ウルトラQ倶楽部(2003年)※演出も担当

プロデューサー

Remove ads

出演

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads