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横尾義智
日本の政治家 ウィキペディアから
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経歴
新潟県東頸城郡小黒村(のち同郡安塚村→安塚町、現在の上越市)に生まれる。1902年、東京聾唖学校入学[3]、1908年に同校唖生尋常科を卒業[4]。その後、同校図画科に進学[3]し、1912年に卒業[5]。1915年、家督を相続し[6]、翌1916年5月には安塚銀行創業の発起人塩崎貞佐久の四女里子と結婚。1920年7月、小黒村長の滝沢義親らと小黒信用購買販売利用組合を設立し、組合長を務める[7]。1921年に出資者の一人として東京楽善合資会社の設立にあたり[8]、1923年には代表社員となった[9]。1934年2月4日、小黒村長となる[2]。また、 日本聾唖協会の専務理事をその創立時から務めた[10]。大政翼賛会小黒村支部長であったことにより、戦後、公職追放となる[11]。1950年に解除[12]。スポーツマンでテニスが得意であった[13]。
参考文献
- 齋藤陽道 (2023年9月22日). “働くろう者を訪ねてvol.24 横尾義智さん【村長】”. こここ 福祉をたずねるクリエイティブマガジン. マガジンハウス. 2023年10月13日閲覧。
- “横尾義智 全国初のろうあ村長”. 上越市立歴史博物館. 上越市. 2023年10月31日閲覧。
- 野呂一「ろう者村長・横尾義智」『現代思想』第25巻第5号、青土社、1996年、142-151頁、CRID 1523388080227556480。
脚注
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