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横浜絵
江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵の様式のひとつ ウィキペディアから
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横浜絵(よこはまえ)とは、江戸時代から明治時代の日本の描かれた浮世絵の様式のひとつ。「横浜浮世絵」、「ハマ絵」、「横浜錦絵」とも呼ばれる。
解説
幕末から明治初年にかけて、横浜を画題として描かれたおよそ八百数十点の錦絵の総称であり、極めて短い期間に爆発的に大量生産された。主に横浜港、商館風建物、異国人の風俗などが描かれており、同じく異国趣味を題材にしていた長崎絵に準じてこう呼ばれるようになった。万延元年(1860年)から文久元年(1861年)にかけての二年間が横浜絵の最大の流行期であった。晩年の二代歌川広重、二代歌川広近、歌川貞秀、他に歌川国芳門下から歌川芳員、歌川芳虎、落合芳幾、歌川芳盛、月岡芳年、歌川芳艶、歌川芳富、歌川芳豊、歌川芳春など多数の浮世絵師がこの横浜絵を残している。豊原国周も一時版元の注文で横浜絵を手掛けた。
作例

- 二代歌川広重「横浜風景一覧」三枚続
- 広重三代「横浜海岸通リ之真景」明治5年(1872)
- 歌川(五雲亭)貞秀、東海道名所之内横浜風景、多色木版、横八枚続 、1860年(安政7/万延元年)(2月・3月) 、横浜美術館コレクション
- 歌川芳年、東海道名所図絵 神奈川 横浜遠景大判錦絵明治元年(1868)頃大橋屋弥七
参考文献
関連項目
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