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横浜絵
江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵の様式のひとつ ウィキペディアから
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横浜絵(よこはまえ)とは、江戸時代から明治時代の日本の描かれた浮世絵の様式のひとつ。「横浜浮世絵」、「ハマ絵」、「横浜錦絵」とも呼ばれる。
概要

幕末から明治初年にかけて、横浜を画題として描かれたおよそ八百数十点の錦絵の総称であり、極めて短い期間に爆発的に大量生産された。主に横浜港、商館風建物、異国人の風俗などが描かれており、同じく異国趣味を題材にしていた長崎絵に準じてこう呼ばれるようになった。
旺盛な好奇心に乗って流行
作品は、師岡屋、伊勢茂など大半が横浜ではなく、江戸の版元から出版されており、万延元年(1860年)及び文久元年(1861年)の二年間が横浜絵の最大の流行期であった。安政6年(1859年)に貿易として開けた横浜は江戸から目と鼻の先にあり、異国風物の存在する街であることが多くの人々に強い関心と好奇心を呼んだ。そこで江戸の版元が競って居留地や異人風俗に興味を持ち、それらを浮世絵師たちに描かせたのであった。新奇を好むのは江戸のみにとどまらず、もっと広く旺盛な好奇心に富む日本人の性情であろうと思われる。異人、異国風物には全く興味を示さなかった中国版画などと比較すれば、それはよりはっきりする。
活気に満ちた雰囲気
横浜絵は長崎絵とともに、江戸時代末期における浮世絵の歪んだ空気を吹き払う清々しい空気と活気に満ちている点が最大の特色であるといえる。
明治の頃になると特有の刺激的な色の「赤絵」として描き出されてくる。幕末期の幾分退廃的、類型的な美人画や合戦画で何とか凌いでいた旧弊な絵師たちも、まだ見たことのない蒸気車を描き始める。しかし、レールの上を走るということが理解できず、自動車とも蒸気船ともつかない代物を描いたりしているが、ともかくも庶民の好奇心に応えるものではあった。やがて、取上げられた文明開化の産物は蒸気機関車、蒸気船、人力車、鉄道馬車、気球、洋風建築、灯台、時計台、電信、電灯、橋梁、郵便、幻灯、写真機、洋服、洋装風俗、競馬、サーカス、英語などなど、目まぐるしいまでに新奇な文物が氾濫していた。なかでも新奇なものに最も強い関心を示したのが三代歌川広重で、その描写はウェットな所が少しもなく、この時代に相応しい作品であった。俯瞰図を得意とした歌川貞秀も遠近法を効果的に用い、雄大で精密な作品を残している。
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作品
晩年の二代歌川広重、二代歌川広近、歌川貞秀、他に歌川国芳門下から歌川芳員、歌川芳虎、落合芳幾、歌川芳盛、月岡芳年、歌川芳艶、歌川芳富、歌川芳豊、歌川芳春など多数の浮世絵師がこの横浜絵を残している。豊原国周も一時版元の注文で横浜絵の流行に乗った。また五姓田芳柳や中山年次などは、写真を基に絹地に筆で陰影を付けながら肖像や日本風俗を写実的に描くという手法を編み出しており、これらも横浜絵といわれている。
二代歌川広重「横浜風景一覧」三枚続
広重三代「横浜海岸通リ之真景」明治5年(1872)
横浜みやげ 東海道名所之内横浜風景(1860年の横浜 6 横浜市)
歌川(五雲亭)貞秀、東海道名所之内横浜風景、多色木版、横八枚続 、1860年(安政7/万延元年)(2月・3月) 、横浜美術館コレクション
歌川芳年、東海道名所図絵 神奈川 横浜遠景大判錦絵明治元年(1868)頃大橋屋弥七
歌川芳年、東海道名所図絵 神奈川 横浜遠景大判錦絵明治元年(1868)頃大橋屋弥七
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参考文献
関連項目
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