トップQs
タイムライン
チャット
視点

横田切れ

新潟県の洪水 ウィキペディアから

横田切れ
Remove ads

横田切れ(よこたぎれ)は、1896年明治29年)7月22日に発生した、信濃川堤防決壊による洪水である[1]

Thumb
横田破堤記念碑(燕市横田切れ公園付近、2020年4月)

数日間続いていた大雨により信濃川の水嵩が増大し、新潟県西蒲原郡横田村(現・燕市横田)の堤防の部分約360mを主として、県内874か所で堤防が決壊した[1]。これにより新潟市関屋までの広い範囲が浸水し、被害面積は180km2、床下・床上浸水が合わせて4万3600戸で、そのうち家屋流出は2万5000戸であった。

さらに、低い土地では秋になっても水が引かない場所もあり、溜まった水が腐ることによる赤痢チフスなどの伝染病が蔓延し、命を落とす人も多かった[2]

この水害により、三島郡大河津村大川津(現・燕市大川津)から同郡野積村(現・長岡市寺泊野積)までの約10kmの区間に分水路の建設の声が高まった。大河津分水路1907年(明治40年)に第2期工事が始まり、1922年大正11年)8月25日に通水した[3]

Remove ads

ギャラリー

脚注

Loading content...

参考文献

関連項目

Loading content...

外部リンク

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads