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橋津村

日本の鳥取県東伯郡にあった村 ウィキペディアから

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橋津村(はしづそん[1])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡湯梨浜町の一部にあたる。

概要 はしづそん 橋津村, 廃止日 ...

地理

橋津川の河口に位置し、北は日本海に面していた[2]馬の山西側の山すそに帯状の集落を形成していた[2]

歴史

  • 1884年(明治17年)8月1日、橋津郵便局(5等)開設[2][3]。1897年(明治30年)3月26日、橋津郵便電信局(3等)となり電報取扱を開始[2][3]。1903年(明治36年)4月1日、橋津郵便局(3等)となり[3]、1921年(大正10年)電話通話開始[2]
  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡上橋津村、橋津村、宇野村、赤池村が合併して村制施行し、橋津村が発足[1][2]。旧村名を継承した上橋津、橋津、宇野、赤池の4大字を編成[2]
  • 1891年(明治24年)10月23日、大字宇野が分立し宇野村が発足[1][2]。3大字となる[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1905年(明治38年)橋津大火で民家63戸、浜倉8棟が焼失[2]
  • 1953年(昭和28年)4月1日、東伯郡長瀬村、浅津村、宇野村と合併し、町制施行し羽合町を新設して廃止された[1][2]。合併後、羽合町大字上橋津・橋津・赤池となる[2]
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産業

  • 漁業、農業、運輸業[2]
  • 海運業が盛んであったが、1919年(大正8年)橋津港からの輸出が途絶えた[2]
  • 1894年(明治27年)金融・倉庫業の奨恵合資会社設立[2]。1912年(明治45年)奨恵銀行に改組し、倉庫部が1919年に社団法人奨恵社農業倉庫となる[2]

交通

乗合バス

港湾

  • 橋津港[2]

教育

名所・旧跡

脚注

参考文献

関連項目

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