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歌川国輝 (3代目)

明治期の浮世絵師 ウィキペディアから

歌川国輝 (3代目)
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三代目 歌川国輝(さんだいめ うたがわ くにてる、生没年不詳)とは、明治時代の浮世絵師

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「近世史略 武田耕雲斎筑波山之図」 明治24年(1891年)9月、三代目国輝画。

来歴

はじめは二代目歌川国輝の門人だったと見られ、のちに豊原国周の門人となっている[1]。本姓は岡田、名は藤四郎。一雄斎、昇旭斎、旭斎と号す。明治7年(1874年)に二代目国輝が没してのち三代目国輝を称した。神田に住み、後に深川に移る。また霊岸島に住したともいわれる。作画期は明治19年(1886年)頃から29年(1896年)の頃にかけてで、国周に絵を学び、明治23年(1890年)からは豊原姓を称した。作品は「東京名所」のシリーズや3枚続の「浅草観世音」、「帝国国会議事堂之図」などのほか相撲絵を残しているが数は少ない。

作品

脚注

参考文献

関連項目

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