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気仙沼大島大橋
宮城県気仙沼市の橋 ウィキペディアから
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気仙沼大島大橋(けせんぬまおおしまおおはし)は、宮城県気仙沼市の本土と離島である大島とを結ぶ道路橋である[2]。愛称は鶴亀大橋。全長356 m[3]。最大支間長は東日本で最長の297 m[4]。土木学会田中賞(作品部門)受賞。
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概要
1967年(昭和42年)以来、大島への架橋は50年以上も望んで叶えられなかった悲願であったが[3]、2011年(平成23年)3月中旬に東日本大震災が発生すると、日本に、とりわけ東北地方の太平洋側3県(“被災3県”)を中心とした地域に災害復旧復興の機運が湧き上がるなか、大規模被災時の孤立化が避けられない大島[3]の置かれた状況も大きく変化し、「復興のシンボル」として宮城県を主体とした整備事業が推し進められる運びとなり[2][3]、大震災からおよそ8年後、橋本体の着工からは約4.5年後の2019年(平成31年)4月7日に開通した[5][2]。架橋事業の費用は、橋単体で約60億円[5]、総事業費は約270億円であった[5]。
歴史
要約
視点
2011年(平成23年)10月20日に宮城県庁で開催された第1回県道大島浪板線大島架橋設計検討委員会で、橋梁形式を中路アーチ橋にすることが決定された[6]。2012年(平成24年)4月に用地買収が始まり[7]、2013年(平成25年)1月23日に大島架橋事業起工式が[8]、2014年(平成26年)11月15日に橋梁本体の起工式が行われた[9]。また、本体工事起工式では施設の名称と愛称名が発表された[9]。
- 一般県道大島浪板線 - 愛称:気仙沼大島龍宮海道(けせんぬま おおしま りゅうぐうかいどう)
- 大島架橋 - 気仙沼大島大橋(けせんぬま おおしま おおはし)、愛称:鶴亀大橋(つるかめ おおはし)
- 二ノ浜1号トンネル - 浦島1号トンネル
- 二ノ浜2号トンネル - 浦島2号トンネル
- 磯草3号トンネル - 乙姫1号トンネル
- 磯草4号トンネル - 乙姫2号トンネル
- 磯草5号トンネル - 乙姫3号トンネル
2017年(平成29年)3月29日12時30分、気仙沼大島大橋の架設が完了[10]、10月17日に本体工事が終了した[11]。2019年(平成31年)1月4日、宮城県から同年4月7日15時に供用開始することが発表された[5]。
なお、それまで大島の暮らしを本土と繋いできた大島航路(気仙沼港と大島の間を運航する一般旅客船定期航路で、大島汽船が運営してきた)は、大橋の開通に合わせて、開通日の気仙沼港発19:00の最終便をもって1906年(明治39年)以来110年以上に亘る定期航路の歴史に幕を下ろした[12][13][14]。
年表
- 1917年(大正6年) - 架橋を切望する内容の島甚句(島節)「島と唐桑にそり橋かけて 渡りたいぞや今(もしくは 只)一度」は、もっと前からあったと見られるが[14]、『大島村誌』が編纂されたこの年に初めて記録された[14]。「唐桑」は本土にある唐桑半島のことで、島民が昔から架橋を望んでいたことが窺い知れる[14]。架橋の悲願は「1967年以来」と称されることが多いが、それはあくまで事業が具体化してからの話である。
- 1967年(昭和42年) - 宮城県勢発展計画に大橋の架橋事業が盛り込まれる[15]。
- 1987年(昭和62年)4月 - 気仙沼大島大橋架橋促進期成同盟会の結成[15]。
- 1993年(平成5年) - 基本ルートの決定[15]。
- 2008年(平成20年) - 架橋ルートの提示[15]。
- 2010年(平成22年)9月 - 村井嘉浩宮城県知事が、2011年度の事業着手を表明する[15]。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)4月 - 用地買収の開始[7]。
- 2013年(平成25年)1月23日 - 架橋事業の起工[8]。
- 2014年(平成26年)11月15日 - 橋梁本体の着工[9]。
- 2015年(平成27年)7月22日 - 大橋の開通に合わせて大島航路(気仙沼港・大島間の一般旅客船定期航路)が廃止されることが発表される[13]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)7月 - 高欄・袂(たもと)・桁内部などへの照明の設置工事が完了[17]。
- 2019年(平成31年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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