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丸山由美

日本のバレーボール指導者、元選手 ウィキペディアから

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丸山 由美(まるやま ゆみ、旧姓江上(えがみ)、1957年11月30日 - )は、日本バレーボール指導者、元選手。

概要 丸山 由美 Yumi Maruyama, 基本情報 ...

来歴

東京都[1]出身。中学生からバレーボールを始める。松蔭高校を経て、1976年日立に入社。1979年には日立の主将となり、その後三屋裕子中田久美らと共に日立の黄金時代を築いた。

山田重雄監督が指揮を執った1977年ワールドカップにて初めてバレーボール日本女子代表に選出される。1980年の幻のモスクワオリンピック代表メンバーの一人でもある。1982年から全日本主将となり、世界的なセンタープレイヤーとして活躍した。同じセンタープレーヤーでも三屋が高さを武器としていたのに対して、江上は上手さを武器にしていた。特にタッチなどの軟攻には比類なき上手さを見せつけた。また、身長175cmとセンタープレーヤーとしては決して大きくなかったが、ブロックが上手く、タイミングの良いブロックで何度もチームの窮地を救っている[要出典]

1984年1月15日のユニチカ戦で、日本リーグ105試合出場を達成し、それまで水原理枝子が持っていた日本リーグ出場記録を更新した[2]。同年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得をした後に一度引退。

1986年、女子バレーボールチームの小田急ジュノー監督に就任。同年、丸山貴也(日立のコーチ)と結婚[3]

1987年に同チームで現役復帰。1988年ソウルオリンピックに主将として出場後、再び現役引退した。

現在は、日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として後進の指導に当たっている。

2024年には夫の貴也が監督を務める江戸川大学女子バレーボール部のコーチを務めている[4]

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人物

所属チーム

球歴

受賞歴

  • 1976年 - 第10回日本リーグ 新人賞
  • 1977年 - 第11回日本リーグ サーブ賞、ベスト6
  • 1978年 - 第12回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
  • 1979年 - 第13回日本リーグ サーブ賞、ベスト6
  • 1980年 - 第14回日本リーグ ブロック賞、ベスト6
  • 1981年 - 第15回日本リーグ 最高殊勲選手賞、スパイク賞、ブロック賞、ベスト6
  • 1982年 - 第16回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ブロック賞、ベスト6
  • 1983年 - 第17回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ブロック賞、ベスト6
  • 2007年 - 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞

脚注

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