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沢野種鉄

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沢野 種鉄(さわの しゅてつ/かずかね、1835年明治18年(1885年2月4日)は、佐賀藩出身の武士・海軍軍人。通称は虎六郎。後に海軍大佐。海軍軍人・安保清種の実父としても知られる。

生涯

澤野種鉄は佐賀藩に生まれ、藩主鍋島直正が藩の将来を担う俊才を選抜して長崎海軍伝習所へ派遣した際、中牟田倉之助真木長義らと共に留学生として選ばれた[1]

戊辰戦争では新政府海軍に属し、函館戦争において中牟田倉之助と共に奮戦したとされる。明治2年(1869年)5月、青森から函館へ進入して弁天台場を砲撃した軍艦延年丸の船将を務めた[2]

維新後も海軍の中心人物として重用され、明治5年(1872年)には明治天皇西国巡幸の際に供奉艦長を務めるという栄誉を受けた[1]。明治7年の台湾出兵では軍艦日進の艦長として出征している[1]

さらに明治11年(1878年)、軍艦比叡が英国回航員から日本海軍へ正式引き渡しとなると、種鉄はその初代艦長に任命された[3]

また元長崎伝習生として海軍草創期を支え、西南戦争では軍艦東艦に乗り神戸港を守備したとされる[4][5]

晩年も海軍の中枢で活動したが、明治18年(1885年)2月4日に病没した。享年50[6]

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脚注

参考文献

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